カレッジマネジメント239号
66/92

12366大学入学者選抜の現在地大学の学修・卒業に必要な能力・適性等を判定する入試になっているか高大が手を取り合って若者を育成するために図1 大学入学者選抜における3原則(大学入試のあり方に関する検討会議提言(令和3年7月8日)より)考察・各大学が主体的に実施・一定のルールをガイドラインとして定めること・卒業認定・学位授与の方針、教育課程編成・実施の方針と連動した入学者受入れの方針策定の必要性 ※選抜という視点に加え、大学と入学者との望ましいマッチングを図る視点も重要・同一選抜区分での公平な条件での実施、入試情報の公表(形式的公平性の確保) ※同一日・同一試験問題による選抜のみでなく、明確な選抜基準の下、多様な選抜資料を活用することを含む・地理的・経済的条件、障害のある受験者への合理的配慮 等(実質的公平性の追求)・高大の円滑な接続(生きて働く知識・技能、未知の状況にも対応できる思考力・判断力・表現力等の涵養を目指す教育改革に資する選抜)・入学志願者への教育上の配慮(教科・科目等を変更する場合は2年程度前の告知の必要性、入試日程等の遵守)うに思えてならない。偏差値向上や相対的なポジショニング向上、志願者数を増加させるといった手段を選ぶとき、最初に棄損しがちなのが①だからだ。もちろん志願者数は大学経営において重要視すべき項目であり、そうした手法を否定するものではないが、それだけでは本質的な志願者獲得につながる入試を設計することはできないのではないだろうか。また、今回の特集は、暗に大学は高校の探究活動を評価すべしとするものではない。自校の教育に探究的思考が必要なら、入試でそれを問うべきだ。言い方を選ばずに言えば、大学教育に必要ないならば問う必要はないだろう。ただし、探究は社会に必要な能力を高校教育段階で身につけるために考案された教育手法である。翻ってそういう教育を受けた高校生が大学に入学したときに、大学教育は彼ら・彼女らを「より成長させる」ことができる状態にあるだろうか。つまり、大学教育は社会で活躍するための能力を育成できるものに変革できているか、探究的素養が必要な内容にチューニングできているか、ということである。問われているのは入試設計だけではない。改めて「変化著しい・かつ多様化している高校までの学習と、大学教育への適性の整合をどうやって入試で組み立てるのか」という本丸の設計力である。高校は探究の成果を可視化することが求められており、大リクルート進学総研 研究員 鹿島 梓Researcher's Perspective「高校で探究がスタートしているわりに、入試における多面的・総合的評価の開発があまり進んでいないのではないか」。本企画のスタートの疑問はそこだった。では、多面的・総合的評価とは本来何を目的としたものだったか。キャッチーな言葉が出てくるたびにそこが起点に語り直しが起こるが、今回はなるべく入試の「そもそも」を見つめる視点を心掛けた。大学入試は大学教育に根差したポリシーがまずあり、それを叶える人材を選抜する教育手法として存在すべきもので、そこと整合しない方法論だけ多様化してもきっとうまくいかない。では、今改めて必要な観点は何か。それは、外部的には高校や高校生の現状ではないか。内部的には自校教育の現状と成長する学生の資質・能力から発想することではないか。令和3年7月8日の文部科学省「大学入試のあり方に関する検討会議提言」では、大学入学者選抜における3原則を図1の通り規定している。改めてこの3原則を考えるとき、特に①において、大学は、本当に自校教育に必要な素養を入学者選抜で測れているのだろうか。「当然できている」と思われる読者の方々も多いであろうが、筆者には、①こそが棄損してるよ当該大学での学修・卒業に必要な能力・適性等の判定受験機会・選抜方法における公平性・公正性の確保高等学校教育と大学教育を接続する教育の一環としての実施大学入試の起点はどこか

元のページ  ../index.html#66

このブックを見る