似たようなことが、舞台の演出でもよくあります。デザイナーの衣装プランと俳優の希望が合うかと迷って、演出家が提案できずにいる。完璧な提案をしなければと思ってしまうからです。 でも僕は俳優さんに直接「この服どう思いますか?」と聞くことから始めます。すると「私、緑色が嫌いなんです」と自分の希望を話すかもしれない。そうやって対話していけばいいんです。 対話を邪魔するのが使命感です。まずは〝スーパーな親〞をやめて、大人同士で対話の練習をしてみてはいかがでしょう。 もしかしたら親のあなたが見て「この子、本当は、こんな道に進も正解を知っている〝スーパーな親〞を目指してしまうんですよね。 僕は、子育ての目的は「健康的に自立させること」だと思っています。それはつまり「大学に行く意味は?」と問われて「父ちゃんも確信に満ちた答えをもっているわけではないんだけど…」から話し始めるのが真の子育てだということです。 〝スーパーな親〞を目指してしまうと、困ったことに対話ができなくなってしまいます。例えば、子どもが悩んでいるとき。子どもと話す前から「子どもが自分で決めるべきだから傍観する」か「子どものために介入する」か、と二択から選んでしまう。その前に、子どもの顔色を見ながら、まずは会話のキャッチボールをしてみればいいじゃないですか。みたいんじゃないか」とわかることもあるかもしれません。一番残念なのは、それを「命令」に聞こえる言い方で子どもに伝えてしまう親です。そうではなくて子ども自身が自分で気づくことが大事なんです。 例えば僕が舞台の演出をしていて「この場面では思いが募って、相手を抱きしめるくらいするんじゃないかな」と思ったとします。俳優は僕の指示を聞いてそのまま演じた。そして開演後、お客さんに「あそこで抱きしめるのは興ざめだった」と言われたとしたら?その俳優は、僕を恨むしかないでしょう。 それよりも、まずは僕と俳優で、意見を交わしてみる。「ここで何か愛情表現をするんですかね?」と相手に聞くんです。その結果「このシーンでは、相手を抱きしめたほうがいいな」と俳優自身が気づいて選んだのなら、お客さんに何を言われても納得できるはずです。 進路選びも同じです。「〇〇大学の何学部に行ってみたら?」と親に言われて何も疑わず、そのまま子どもが行って、もし満足いかなかったとしたら。親切心から言ったとしても、のちに子どもから「親のせいで」と恨まれますよ。 イギリスに「馬を水辺に連れて行けても水を飲ますことはできない」ということわざがあります。最後にやるのは本人だから、本人が選ばないと。親にできることは、自分で気づく形に導くことだけ。そのためにも〝スーパーな親〞をやめて、対話を始めましょう。ここから対話をはじめよう「そっか。私もわからないわ~。おいしいものでも食べよう」と一緒に食卓を囲んだらどうでしょう。私たちはつい、答えを与える・もらう関係になってしまいがち。「わからない」を共有し合う空間はなかなかありません。この雑誌を食卓に置いて「ほかの子も悩んでいるらしいよ」と話せば、きっと子どもも勇気が出るんじゃないかな。学校ってなんだ!日本の教育はなぜ息苦しいのか工藤勇一・鴻上尚史/講談社学校改革で話題沸騰になった、前・麹町中学校校長の工藤勇一さんと鴻上尚史さんが、日本の教育や学校現場が抱える問題点について対談。日本特有の同調圧力や、世間̶̶親も子も苦しめられているものは一体何か、その正体をより深く考え、あたりまえを疑うためのヒントに。一緒にご飯を食べながら「わからない」ということをシェアする深く考えるための1冊親にできることは「自分で気づく」へ導くだけ僕の指示どおりに演技をした俳優は、その舞台の評判が悪かったら、僕を恨むしかないんです。でも、自分でその演技を「選んだ」と思えると、どんな結果でも納得ができる。子育ても同じじゃないでしょうか。親も、よかれと思ってアドバイスしたのに、あとで恨まれても困るよね。こうかみ しょうじ●1958年、愛媛県生まれ。早稲田大学卒。1981年に劇団「第三舞台」を結成。94年「スナフキンの手紙」で岸田國士戯曲賞受賞、2010年「グローブ・ジャングル」で読売文学賞戯曲賞。近著に『空気を読んでも従わない』(岩波ジュニア新書)、『同調圧力』(共著、講談社現代新書)など。撮影:©TOWA25for Parent 2022
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