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私立大学/東京

コクサイキリストキョウダイガク

「対話」から世界が広がり、幅広い視点で世の中を捉えられるようになった

長田高等学校
教養学部4年 原田 杏奈(メジャー:言語教育)
※学年は、取材時のもの

―アメリカのコミュニティカレッジからICUに編入

実は一度、ICUの4月入学の一般入試に落ちてしまいました。アメリカ生まれ日本育ちの私は、長期間英語で学び、生活することに憧れがあったので、生まれ故郷であり0才4ヶ月までを過ごしたアメリカのコミュニティカレッジ(公立の2年制大学)に入学することにしました。コミュニティカレッジでは、文系準学士という学位をとることができ、大学に編入することができるクラスもありましたし、何より日本の大学と環境の違う、アメリカのコミュニティカレッジで学ぶことで視野を広げたいと思いました。アメリカ国籍を持っていることによる一部学費免除と、そもそもコミュニティカレッジは4年制大学より学費が安いことも魅力でした。
コミュニティカレッジでは、英語を第二言語とする学生たちと話していたことがきっかけで、「英語を話す」姿勢も人それぞれだと気づき、自身の英語に対する姿勢が変わりました。現地で参加したクラブ活動には、文法的に正確でなくても、スムーズに英語でコミュニケーションをとるサウジアラビア出身の学生や、日本語訛りの発音で積極的に話す日本出身の学生がいました。当時の私は、英語の発音や文法ができていないと「話せる」とは言えないと思っていたので、衝撃を受けましたが、このときの体験から、英語でコミュニケーションをとることへの躊躇がなくなったと同時に、英語のコミュニケーションに対するさまざまな人のアプローチ方法に興味をもち、より英語を用いる環境に身を置きたいと考えるようになりました。
同時に、ミュージカルなど「人前で表現する機会」を求めて、より自分に合う場所を探したいと思うようになりました。幼少期からジャズダンスやクラシックバレエ、ミュージカルを続けてきた私にとって、コミュニティカレッジにはその機会が十分にはありませんでした。そこで、表現の場が集まる世界中の都市の中から、友人も多く、「やっぱり行きたい」と思い続けていたICUのある東京に行くことを決めました。

ー教員・学生・環境のすべてが決め手に

コミュニティカレッジ1年目が終わった夏に、一度帰国し、東京で開催されていた合同大学進学相談会に参加しました。その時に、ICUの生物学メジャーの布柴先生と、色々な学問分野や、学ぶこと全般についてお話しする機会がありました。私は生物学を深く学んできたわけではありませんが、先生が私に寄り添って話をしてくれたため、話がとても盛り上がりました。これをきっかけに「ICUの先生の下で学びたい」と思うようにもなりました。
また、ICUなら高校時代の塾で出会ったような友人に出会えるのではないかという期待がありました。私の塾の友人は「勉強が好きだ」という気持ちに導かれるように、わからないことを教科書やお互いの知識で補い、周囲との対話を生み出していました。勉強を「苦手、わからない、できない、だからもちろん楽しむものではないし楽しくない」と感じていた私にとって、彼らとの出会いは衝撃的でした。この出会いがきっかけで、自由に疑問を抱き、自由に想像を膨らませ、その衝動に導かれるように解決の必要性と学び、対話が生まれることの楽しさを知り、「例え与えられた課題ができなかったり、わからなくても、私も勉強が好きで楽しいと思っていいんだ」と感じられるようになりました。ICUの学生もそういった主体的な学びを行なっていると、合同大学進学相談会などを通して知り、そうした学生との出会いに期待が高まりました。
加えて、コミュニティカレッジ卒業の私にとっては、学部2年生の9月から編入でき、3年次からの編入となること他大学よりも1年長く、3年間ICUで学べるという点も魅力的でした。
ICUのある東京には、トレンドの最先端をいくミュージカルやモデル、お芝居のオーディションの多さに加え、アート、ファッションのイベントや展示の機会、それにまつわる活動をする人が多いことも、志望動機の1つになっていました。

ー言語学への関心が、最終的には言語教育メジャーの選択に

高校時代、授業で発表した「オノマトペ」についてのプレゼンが、他大学の言語学の先生に評価され当時在籍していた特色選抜クラスで表彰された経験から、入学時には「私は言語学を学んでいくんだ」と思っていました。しかし実際に授業を受けてみると、言語学には生物学、心理学的要素に加え、関係性や傾向、原因を明らかにするためにデータを集め、数式に当てはめて検証するというような数学的な側面が強いと感じるようになりました。
一方で、言語教育メジャーの辻田先生による一般教育科目「メタファーの世界」を履修したときに、人間の空間的な認知力が言語理解やその運用の際に反映される例に共感し、これこそ「言語」と「芸術」という私の2つの主要な興味分野を結びつける分野かもしれない、と大きな可能性を感じました。そこから、まず認知言語学的に第二言語の習得について学んでみたいと思うようになりました。
言語学では第一言語の習得、つまり「脳の生命科学」であるのに対し、言語教育では第二言語の習得、後から後天的に身につけるものについて分析します。例えば、“Knowing is seeing”(わかる、知っているということは、見えるということ」の例をみると、”see” “enlight” “discover” “find”などの単語において、光(light)の中に入れられて(en-)よく見えるようになったり、覆われている(cover)ものが取れたり(dis-)して見えなかったものが見えるようになることは、「あるかないか」、もしくは、「どんな見た目かわからなかったものが分かって確かな答えを確認できる」ということが「分かる」という概念に結びつくことは、普段の認知体験から想像できるかと思います。このように視覚的または物理的な実体験が、無意識的な領域で人間の言語理解や運用に影響するため、複数の感覚が言語理解や運用と同時に引き起こされていることになります。
そこで、卒業研究では、「共感覚」について取り上げ、人間の五感が入り混じる次元の可能性について、教育、言語、芸術、哲学などの視点を用いながら議論したいと思っています。共感覚とは、私が実際にそうなのですが、音を聞いた時に色が見えることや、食べた時に形が見えること、物を触った時に音が聞こえることなど、1つの刺激に対して複数の感覚が引き起こされる現象を指します。文学表現や詩、短歌、俳句、アート作品、服、音楽、料理など、言語や芸術的側面でも例はたくさんあると思いますが、今の私にとっては、嗅覚や触覚が遮られ、感覚の入り混じることの少ないオンライン授業を中心としたコロナ禍の学校教育が身近な問題として考えられるのではないか、と卒論アドヴァイザーの先生との会話の中で気付きました。今までの教育体系の効果が変化しているのではないかと思い、今は関連する文献を読み進めています。

ー寮で友人との「対話」を続け、さまざまな視点で世の中を捉え、学びの機会を見出せるようになった

ICUでは、「生きる意味」「死ぬ意味」「幸せとは」「感情とは」「家族とは」といったことから、政治や社会問題、身近に起こった問題など、普段わざわざ問い直すことの少ない難しい問題について、よく友人と「対話」しています。友人の意見に反論して自分の意見を納得させるというより、対話を通して問題そのものについてお互いの考えを言語化し明瞭にしつつ、それぞれの意見を受け入れることを大切にしているため、対話を通して解決策が見えてきたり、視野が広がったりします。こうしたコミュニケーションが取れる友人と過ごす時間は、私が入学前から一番楽しみにしていたことですし、今でも一番自信を持って自慢できるICUの魅力です。
寮の友人は専門分野もさまざまなので、政治学や、ジェンダー・セクシュアリティ研究、社会言語学など、自分とは異なる視点を持っていたり、バックグラウンドもインターナショナルスクール出身だったり、第一言語が英語だったりします。こうした寮の友人との「対話」を通して、語彙や考え方、思考が豊かになり、初めて学ぶ分野の授業やICU外での勉強会や対話の機会に、確実に私の武器になっていると実感しています。新しく言葉や概念を知ることは認知世界が拡張するということで、見えなかった、分からなかった、知らなかったことがどんどん見えてくる(”see”=分かる)ということだと思います。これは、より複雑な言語能力を磨いたときにこそ味わえる圧倒的な特権ではないでしょうか。友人と議論し、自分の頭で考えて悩み、一種の秩序に辿りつく感触が好きです。
将来は自分の表現を続ける傍らで、こうした「面倒くさい」、「意味がない」、「難しい」、もしくは「ただ格好をつけているだけじゃないの?」とも思われがちなことについて自由に「対話」を楽しめる場を開いたりもしたいと思っています。そこで表現していきたいのは、いかに学びの機会が身の回りに溢れ、さまざまな分野と繋がり、誰にとっても自分ごとであるか、ということです。また、同じ空間に、音楽、アート作品などを展示、表現できるスペースも設けたいと思います。



(記事:ICU学生記者 尾畑 翼)
国際基督教大学(私立大学/東京)
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