カレッジマネジメント209号
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この原稿を書いている時期は、まさに大学入試の最中である。入試の時期になると、例年のように、繰り返される議論がある。単なる記憶力ではなく、もっと思考力を試す試験が必要だという議論である。そんな付け焼き刃の記憶力中心の試験でなく、もっと人間の思考力を見極める試験が必要だという。しかし万民を納得させるだけの「思考力」を試す試験が未だに作られたことがない。例年同じ議論が繰り返され、その度にこの筋の識者の様々な論評が紹介され、議論は消え去ってゆく。この分で行けば、また来年には同じ議論が繰り返されることだろう。最近のことだが、もっと記述式の問題を増やせという議論が巻き起こった。記述式である以上、一人ひとりの受験生の書いた文章は相違がある。その違いを、だれが読み下し、どういう基準で判定したら良いか。その時最近進歩の著しいAI(人工知能)を使ったらどうだという意見が出された。たしかに人工知能の進歩は著しく、身近なところをみれば、最近のスマホはこちらの語りかける肉声を正確に聞き分けてくれる。ひと頃までは話し言葉の判別は、とうてい実用には及びもつかなかった。ところが最近では話し言葉の理解が正確になり、小さな画面に向かってちびちびと入力する必要がなくなった。こういう技術は累積されて進歩してゆくものだから、将来は論述式の回答を人工知能が採点する時代がくるかもしれない。世界には様々な大学があるが、「面接」を重視している大学として、オックスフォード大学・ケンブリッジ大学をおいて他にあるまい。両大学とも入試にはペーパーテストだけでなく面接試験が行われる。なぜ面接の口頭試問を重視するのか。両大学とも大学に入ると、少人数のカレッジに分かれて、教師を交えた共同生活をすることになる。実りある共同生活を実現するためには、各人が明確な個性を持ち、自分なりの意見を持ち、それを表現できる能力を持っていなければならない。議論をするにしても決まりきったありきたりな発言しかできないようでは困る。口述試験が重視されるのは、果たして友人達にインパクトを与えられる個性を持っているか、集団の中でうまくやっていける協調性を備えているか、それを確認するためである。この本には、あたかも口述試験に出される質問になぞらえた質問が、60問ばかり挙げられている。一問一問読んでいると、あっけに取られることもあり、感心することもあり、息苦しくもなる。例えば冒頭の第一問として「あなたは自分を利口だと思いますか」という、なんとも答えようのない質問が挙げられている。あるいは「コンピューターは良心をもつことができるでしょうか」という現代風の問いがある。さらには「世界に砂粒はいくつありますか」とか「過去に戻れるとしたらいつにしますか、またそれはなぜですか」といった明らかに正解のない質問もある。さあ、面接でこういう質問を向けられたとき、どう答えるか。頭の体操にはいい問題である。およそ正答のない問題である。いったいこうした質問を考えたのはどんな人物か。著者は博学で知られるジャーナリストである。現代中国やインドのドキュメントを書いたかと思えば、医療問題や地球の仕組みまで解いた科学書、児童書まで書いているノンフィクション作家である。イギリス人独特の皮肉を交えた書きぶりに、へたをすると振り回されることになる。一問一問もともと正解などない。著者は読者に知識を与えることではなく、考えてもらうことを狙っている。ジョン・ファーンドン 著・小田島恒志・小田島則子 訳『オックスフォード&ケンブリッジ大学世界一「考えさせられる」入試問題』(2017年 河出書房新社)試すべきは「記憶力」か「思考力」か正解のない問題に対する解答を読者に問う

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