「自分からファールを取られにいくやつ
どうもいけ好かんな。」
それが、僕が小中学校で続けてきた
サッカーをやめた理由だった。
だからこそ、
高校でラグビーに出会ったときは衝撃だった。
ボールをタックルをして奪いにいく。
こけたりするのも当たり前。
自分の中でくすぶっていたものをすべて出し切って、
真正面からぶつかることができるとワクワクしたのを
今でも覚えている。
高校から大学、
そして株式会社ヤクルト本社に入社して
社会人になった今も
気がつけばずっと僕は
ラガーマンであり続けていた。
ラグビーが僕にとって
原点であり、道標。
関東学院と言えば、全国屈指の強豪。
しかも僕の世代は、その中でも黄金世代と言われた。
たぶんレギュラーだった半分くらいが
日本代表になったと思う。
正直、大学4年間はラグビーに
捧げたといっても過言ではない。
それでもレギュラーにはなることはなかった。
もちろん「勝てるチーム」に身を置けるのは
うれしかったけど、
苦渋も味わったし、
自分の力のなさを噛み締めた。
監督に辞めろって言われたことだってある。
その中で、僕は必死に食らいついた。
少しでもうまくなるために練習をした。
自分が何でチームに貢献できるかを考えた。
4年間に悔いはないし、練習がきついとか、
レギュラーになれないとか、
ラグビーを嫌いになる暇もないくらい、
あっという間に時間が過ぎていった。
世界中のどこにいても、
ブレないこと。
株式会社ヤクルト本社に入社して数年経ったころ
僕はメキシコシティにいた。
ヤクルトで社会人ラグビーを続けていたけれど、
いつまでも続けられるわけじゃない。
だけど、そんなことを考える暇もなく、
メキシコ転勤が決まった。
妻に転勤の話をしたときには、
なんでそんな危険なところに、と泣かれた。
ただ僕はというと「メキシコって何語だっけ」
そんなことを考えていて、
すでに行く心づもりができていた。
どうなるかを考えるよりも、まずはぶつかってみる。
意識していたわけではないけれど、
たぶん不安とかはなかったのじゃないかな。
汗にまみれて、信頼を。
僕のメキシコでの仕事は新規開拓と人材育成。
悩んでいる時間ないくらいめまぐるしい時間だった。
200人のメンバーの中で日本人は僕一人。
現地のスタッフと信頼がないと
スタッフ指導なんてできない。
「一発かましてやらなあかんな。」という気持ちで
朝9時から夜6時まで一軒一軒ピンポンを押して
ヤクルト商品の販売に回った。
スペイン語もろくに話せない自分は質では勝てない。
だったら量で勝負しようと。
そのおかげか、販売成績一位を獲得し、
多くの信頼できる仲間たちもできた。
公私混同はしない。
仲良く。でも距離を。
ズルをしない、公平にする。
根に持たない。
たぶんそれは自分の周りにいる
ラグビー仲間たちがそんな気持ちのいい人が
多かったから自然にそうなった気がする。
だからメキシコで働いていた時も、
信頼を勝ち取るために、
特定の仲間とプライベートで遊んだりするなどは
しないと線引きをしていた。
だからといって、
仕事仲間として切り分けていたわけではない。
部下が目標達成のために、
あと100ケース足りないと言ったら
トラックの荷台に乗って、走り回ったのもいい思い出。
ベタベタするのではなくて、
一緒にゴールまで走ることで
いい信頼関係を作ることができていた
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- 小出 紘生営業
- 2003年経済学部経営学科(現:経営学部経営学科)卒業。小中学校はサッカー部に打ち込むが、高校からラグビー部に入部。大阪府立泉北高校では全国高校ラグビー大会大阪府予選でベスト4に残る。自分が通用するかを試す気持ちで関東学院大学のラグビー部へ。卒業後は株式会社ヤクルト本社へ就職。メキシコへと転勤し、言語も分からない中で、真しに向き合うことで結果を残す。2021年からはロサンゼルスという新たなステージへ。