思い返せば、幼稚園の頃から 何かに夢中になるのが好きだった。 テレビで憧れて、「歌舞伎役者になりたい」と 家でにらみの練習を繰り返したり。 円周率にハマると何度も挑戦して、 最終的には500桁まで暗記したり。 他にも「ロボット博士になりたい」と 自分で作ったロボットを戦わせる 全国大会にも小学生時代に出場した。 気になったものはとことん熱中する。 それが僕にとっては当たり前で、面白くて。 今を楽しんだもん勝ち。 これだけは昔から変わらない。 僕のモットーであり、人生においての指針になっている。
「サッカーに集中したいから、ピアノを辞めたい。」 親についた小さな嘘。 この嘘が、僕の人生を変えたといっても過言ではない。 それから小学1年生で本格的にサッカーを始めて、 2年生には横浜市の大会で優勝。 「サッカーってこんなにも面白いんだ。」 勝てた喜びが、僕をサッカーへとのめり込ませていった。 そして、小学6年生で世界の舞台へ。 僕は日本代表のゴールキーパーとしてピッチに立った。 結果は決勝戦で韓国にPK負け。そりゃ悔しかった。 だけど、この経験が自信につながったのも確か。 サッカーだったら戦える。 絶対にプロになれると信じて疑わなかった。
ゴールキーパーは身長が物を言う。 小さいだけで点が入りやすい。 身長が中学2年生で止まったとき、 「あ、もうプロは無理だ…」と挫折した。 でも、サッカーを辞める気にはなれなかった。 もう、プロとか関係なく、 サッカーが好きで仕方なかったから。 高校3年間をやり切って、違う道を探そう。そう決意した。 いざ、大学進学を考え始めると正直悩んだ。 「何がやりたいんだろう…」 そんなときに興味を持ったのが建築だった。 子どもの頃に熱中したロボットのように、 一つのものを組み立てて、立体的に形づくっていく。 建築ならやりたいかも。夢中になれるかも。 そんな想いで関東学院大学に入った。
サッカーとの出会いが一度目の転機だったとすると、 関東学院大学での、酒谷先生との出会いは 二度目の転機だったと思う。 大学4年生のときに酒谷研究室の古民家再生プロジェクト 「こずみのANNEX」に参加して 建築の本質を体感できた気がする。 一番大きいのはリアルを知れたこと。 図面ではたった一本の線で表していた壁が、 実際はコンクリート、断熱材など… 何重にも重なってできていると気づかされた。 しかも、いつも率先して壁を壊すのは酒谷先生。 先生だけど、一緒にこずみのANNEXをつくる仲間みたい。 何でも相談できるし、建築の奥深さだって近くで教えてくれる。 だから今、思う存分に建築を楽しめている僕がいる。
建築やまちづくりなどの設計を学ぶ研究室。「設計とは何か」、「どのように設計はなされるべきか」など設計と研究の双方を学び、吸収する場です。
僕は今、こずみのANNEXで 学生とシェアハウスをしている。 1階部分は共有スペース。 だから、地域の子どもたちが家に入ってきて朝起こされる。 なんてことも、しょっちゅう。 そして1ヶ月に1度、地域の方と集まり ワークショップを開催。 どんな風にこずみのANNEXを 良くしていくかを一緒に考える。 最近だと、階段下スペースを活用する案として本棚を提案。 僕が図面を書いて、地域の方に見てもらい、意見をもらう。 自分の想いが形になり、喜んでもらえる。 「座学だけでは学べない建築」を地域の方が教えてくれている。
ぼんやりとした夢はある。商業施設など、 多くの人が交わる都市づくりに携わることだ。 そんな風に考えられているのも、こずみのANNEXで 地域の方とつながれた経験が大きい。 だけど、未来を気にして生きるのはあんまり好きじゃない。 何よりも大切なのは“今”だと思っているから。 もしかしたら、建築をもっと極めたくて、 研究者になる世界線があるかもしれない。 もしかしたら、建築よりも心が惹かれる 仕事に出会うかもしれない。 今を生きるから、僕の可能性は広がる。 まだ未来はこなくていい。 その時が来たら、自分で好きなように捕まえに行くから。
飯濱さんの参加プロジェクト
小泉(こずみ)地域で築50年の古民家を学生たち自ら改修するプロジェクト「こずみのANNEX」が進行中。離れという意味を持つ「ANNEX」のように、地域に住む誰もが気軽に立ち寄れる第2のリビングを目指しています。
住所:〒236-0042 神奈川県横浜市金沢区釜利谷東1丁目19-11
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