【対談】堀江貴文×いきものがかりのリーダー水野良樹が語る「音楽の力とは」
毎回、各分野のトップランナーをゲストに迎え、堀江氏独自の視点でさまざまなテーマを深掘りする、スタディサプリLabのイノベーション×クリエイティブコース。
第2回のゲストは、いきものがかり(現在放牧中)のリーダー・水野良樹氏。
どうしてみんな東京を目指すんだろうって思っていました
堀江:スタディサプリのことは知ってますか?
水野:存じています。
実は僕、仮面浪人(大学に入学・在籍しながら他大学・他学部受験を目指す)という受験生活を送っていました。朝バイトして、予備校代を稼いでいたのですが、講座を取るのがすごく大変で。
当時スタディサプリがあったら、すごくよかったなって思いました。
堀江:一橋大学ですよね。思い入れがあったんですか?
水野:同級生には悪いのですが、一橋自体に大して思い入れはなくて(笑)。
社会学部に入りたくて、受験の冊子で探したら、都内で一番上にあったのが一橋だったんです。
それで目標にしてしまったのがスタートラインで。
中学や高校の時にいろんなことを中途半端にしてきたので、一度は自分の立てた目標を達成したいという当時の青臭い考えで頑固にやったというだけです。
堀江:中途半端にしてきたことって?
水野:中学まで野球をやっていたのですが、14歳でやめているんです。顧問の先生に「後輩を殴れ」と言われて、反発して。
堀江:僕らの頃は水も飲めなかった時代ですから、普通に体罰的なものはありましたけど、まだあったんですね。
水野:僕らも水飲めなかったです。ギリギリの世代ですね。で、好きではじめたものさえも、最後までできないんだと失望しました。ショックでした。
堀江:高校では何をはじめたの?
水野:高校で音楽をはじめたのですが、神奈川のアマチュアバンドの大会に出ても準決勝止まりとか。ドラマチックでも何でもなくて、本当に小さな失敗、中途半端なことばかりで。それで一つくらいはしっかりやり遂げよう。最後になんか挽回したいなって思ったんです。
堀江:神奈川の厚木で単独ライブやりましたよね。それって何歳のときですか?
水野:2003年に地元のライブハウスで、はじめてワンマンライブをやりました。20歳くらいですね。
堀江:高校の同級生とですよね。一橋に行っても、バンド活動は続けていたんですか?
水野:そうですね。いきものがかりは高校時代にはじめていたので、どこの大学に行くにせよやろうと思っていたんです。
堀江:それも何か珍しいですよね。
東京に近かったせいもあるのかな。僕は※GLAY(グレイ)の人たちと仲が良いのですが、彼らは高校卒業と同時に東京に行くぞとなって、一緒にやっていたベースと別れるんですよ。
ベースだけ親に反対されてそのまま高専に通い続けるからって。
それで3人で東京に行って、ベースどうする、後輩にJIROってのがいるらしいよとなり、今のGLAYができた。そういうドラマがないね。
水野:ないですね。恥ずかしいですが、3人の信頼関係が結構強くて。ボーカルの吉岡は音楽大学に入って、ミュージカルやってたんですよ。
そこで先生に割合叩かれたんです、歌い方がなってないみたいに。大好きなだけで歌っていたのが、急にお勉強になってしまって。
もう歌いたくない、路上ライブ出たくないってなっちゃったんですよ。
堀江:なるほど。
水野:その時に男2人はちゃんと待ってました。他のシンガーを探すとか、違うバンドでやろうとかはなく。この3人でやろうというのが、最初からあったんです。
堀江: GLAYのリーダーのTAKUROさんと話した時に気づいたんですが、バンドの成立物語って、ベンチャー企業がでかくなっていくときと全く一緒なんですよ。
どうやってメンバーを集めて、どういうドラマがあって、ビジネス的にどういうことがあってとかが。メジャーになっていくのが、会社が上場するのとすごく似ている。
水野:えーおもしろいですね。似ている部分というのは、だんだん大きくなるストーリー性が似ているんですか?それともTAKUROさんを補佐する人がいてとかの、キャラクターの配置とか?
堀江:キャラクターの配置もそうだし、リクルーティングもそう。うまくいったバンドって、うまくいったベンチャー企業の軌跡と重なる部分が結構あるんですよ。HISASHIさんをどうやってリクルーティングしたんだろうとか、なんでTERUさんがボーカルやるようになったんだろうとか。もともとドラマーですからね、あの人。
水野:あ、そうなんですか。
堀江:どうやって TERUさんが歌の上手いことに気づいたんだとか。HISASHIさんとTAKUROさんはどっちもギタリスト。
でも、HISASHIさんを見て敵わないと思ったTAKUROさんは、リードギターを譲るわけですけど、それを15、6歳で判断して、俺は裏方に回るぜってすごくないですか?
その時期って俺が俺が、前に前に、でしょ。そういうドラマがベンチャー企業の成長の軌跡と似ている。売れたバンドにはみんなが応用できる共通点があるんですよ、きっと。
で、いきものがかりは、どうなのかなって?
水野:なるほど。まず当時よく言っていたのが、東京を目指さないってことでした。
バンドやるとき、下北、渋谷、高円寺のライブハウスからキャリアをスタートさせるグループが多くて。そこに何があるかというと、レコード会社の人が来ていて、客も集まりやすいんです。だけど東京に集まっている人たちは、みんな上手い。
個性も強い人ばっかり。ここでは勝てないだろうって思いました。
でも僕らには地元の海老名厚木という片田舎にコミュニティーがある。
知り合いも友達もたくさんいる。ここだったら客も集められる。
あえて東京に出ないで、厚木の地方のライブハウスで話題を作れば、東京の人が見にきてくれるんじゃないかなと思っていました。
堀江:すごいなぁ。それは何歳くらい?
水野:ちょうど20歳くらいです。
いろんな活動をするときにコミュニティーのある地元のほうが助けてくれる仲間がいるんですよね。
ライブをするにしても、ボランティアをしてくれる友達がいたり。
東京に行くとそういうのを一度断たないといけないですよね。
それに東京だと音楽目指している人だけのコミュニティーになっちゃうので、実はすごく狭い。社会と繋がっていないんです。
水野:なんでみんな東京行くんだろうって思っていましたね。当時のライブハウスって、ライブハウスについているお客さんなんですよ。
道を歩いている人はライブハウスには入ってこない。行ったこともない。インディーズのバンドは、そのライブハウスの小さな中でお客さんを取り合っているんです。
これでは何も広がっていかない。僕らは路上ライブからスタートしたのですが、ライブハウスに来ていない人にアピールして、ライブハウスに来るのが初めての人でライブハウスを埋めようって意思はすごくありました。
それはうまくいったかもしれないです。
堀江:うーん、すごい。いいと思います。他の人はあんまりやってないですよね。
水野:そうですね。近所にはいなかったですね。
堀江:だいたいみんな東京行きますもんね。
愛されることの大切さ
堀江:「才能があったからうまくいった」ということもあるわけじゃないですか。そこはセンスですか?
水野:センスはないとダメだと思っています。
堀江:でもセンスがある人って一定確率で出て来るわけですよね。その中から、どうやってボーカルの吉岡さんを見つけたんですか?同級生の妹ですよね。
水野:それは自分でもわかんないです。もう一人の山下は小学校の同級生ですし。
堀江:ずっと同じクラスじゃなかったんですよね。
水野:全然違いました。
それはもう不思議としか言いようがないです。
ただ3人が合わさることによって、うまくそれぞれのセンスや才能が磨かれていったというのはあったと思います。同時代の同地域で育っていたので、価値観の形成が3人とも似通っているんですよ。
だから音楽のことでぶつかることはなかったですね。
堀江:僕は売れてない人もいっぱい知っているんですけど、技術的にはメジャーなアーティストとそんなに差があるようには見えないんですよね。
曲もよかったりする。それってどう思います?
水野:売れるバンドと売れないバンドの違いですか?
全然わかんないですけど、あえて答えるなら「音楽だけが価値判断の理由になっていない」というのはあると思います。
例えば親しみやすさとか、どれだけ音楽を聴きやすい状態にライブを構成しているかとか。単純に考えると、お客さんはライブに来て、この曲はいいか、悪いかだけを判断していると思うじゃないですか。
でも実際はそこに来るまでの過程だったり、そのライブでMCが話している言葉だったり、アーティストの見立てであったり。
そういう総合的なもので判断されていると思うんですよね。それは路上に立っているときにわかりました。路上ライブはすごく冷酷なので。
堀江:冷酷でしょうね。それは路上ライブのお客さんとのインタラクション(相互作用)とかで気づいたんですか?
水野:たまに高校の制服でやると、お客さんは安心して見ることができるようでした。それと最初僕らは男子2人ではじめたのですが、男子2人だとお客さんは女性しか集まらないんです。曲が同じでも。考えれば当たり前ですよね。
堀江:あー、まぁそうだね。
水野:そこに女の子が入ると、老若男女、さまざまな人たちが集まるようになる。単純に吉岡の歌が上手いということを超えて、客層が変わっていく。
路上に立っているときに、自分たちがいいか悪いかは音楽だけで判断されていないと気づいたんです。
堀江:僕は音楽の専門家ではないからわからないんだけど、高校の時点で例えば吉岡さんくらい歌が上手い人っているんですか?
水野:います、います。技術レベルでいったら、それくらいの層の人はたくさんいると思いますよ。そこからスタートして伸び上がるかは違いますけれど。吉岡もだいぶ変遷があるので。
堀江:そうですよね。で客層を考えて、女性を入れようと思ったんですね。
水野:当時ゆずが流行っていて、街なかに立つとゆず(男2人)のコピーをしているグループが7組くらいいて、しかも、みんなモテたいって顔してて(笑)これじゃ恥ずかしいし、目立てない。
近所の駅では男女混合グループはいなかったんですね。
真ん中に歌の上手い女の子を入れたら客層広がるんじゃないかって高校生なりに考えて、それで探したら吉岡がいたんです。
堀江:他と違うことをやろうと思ってはじめたら、幅広い客層が集まりだしたと。
水野:そうですね。それと昔の曲のカバー、※「恋におちて」とかの歌謡曲を高校生がやるとおじちゃんたちが止まってくれるんですよ。
堀江:止まるでしょうね。
水野:当時はCDバブルで、音楽好きな人が今よりもたくさんいました。いろんなジャンルにコアな人がいて、自分は人と違うということを主張する人ばかりだったんです。
でも、ど真ん中のみんなが聴く曲のところが空いているって思ったんですよ。
自分たちは技術も才能もそんなにないだろうと思っていて、コアなファンに合わせるよりも、目の前を通過している人を捕まえられる「普通」を目指そう、そこでなら生き残れるかもしれないと思っていました。
堀江:ほー。じゃあ結構路上ライブで得た経験が大きいわけですね。だんだん人気が出てきたなぁって感じたのは、どれくらいの動員をしたときなんですか?
水野:地元でワンマンライブをやったことは大きな契機でした。
突然学生が「ワンマンライブやります」って言って、300人集めて、ライブハウスをパンパンにしたんです。
いつもは一杯になることはないのでライブハウスもびっくりしちゃって、小さな町なのでちょっとしたニュースになりました。
堀江:その時点で300人集める自信はあったんですか?
水野:ありました。路上ライブでお客さんがたくさん集まってくれていましたから。オリジナル中心で好きに作っていた曲がほとんどでしたが、実際目の前でお客さんが立ち止まってくれるのは自信に繋がっていましたよね。
堀江:ライブハウスで300人集めてから、次の段階ではどれくらいに増えていくんですか?
水野:そこから減るんですよ(笑)
堀江:減るんだ。
水野:300人集めて、そのあとも何回かライブハウスでやっていると大人たちが来るんですね。事務所だなんだって。
堀江:はいはい。
水野:で、かなり過程を取っ払いますが、デビューする運びになるんです。
それでデビューして、いざ地元の海老名厚木を出ると、途端に誰も知らないゼロからのスタートになるんですよ。
デビューして初めてのライブツアーを福岡でやった時は、お客さん10人でしたから。そんなのばっかりでした。
堀江:そういうのって大丈夫な人なんですか?
水野:自分たちのそういう状況は、ある程度わかってたんですよ。頑張んなきゃいけないって気持ちだけでやっていたので、期待値がそこまで高くなかったですから、目の前の人数がショックとかはなかったですね。
堀江:僕なんかは福岡で10人しかチケット売れてないってなったら、ヤベーよ、これ、えーってなりますね。
講演会とかでも空席とかありえないですから。で、そこからどうやって挽回したんですか?
水野:周りに愛されるかどうかは、すごい大事だって思いました。
すごくロマンチシズムですけど、中心の僕ら3人がどう愛されるか。
それによってスタッフチームの仕事に対する熱意が変わってくると思いました。たとえば吉岡って、会うとみんな好きになっちゃう。異性としてではなくて、この子のためになんとかしたいって思わせるタイプなんです。
すると、そのプロジェクトはいい雰囲気になるんですよね。
人も集まってくるし、お金を出す人はお金を出すようになるし、このグループに曲を書かせてみようってクライアントも出てくるし。
すると僕らも好きなことができるようになるし。
きれい事ではあるんですけど。
堀江:それはすごくわかる。すごく大事。そういうところに売れてる子と売れてない子の差ってありますよね。愛されない子って、言葉や立ち居振る舞いとかが、なんか残念な感じなんだよね。
水野:そうですね。まあ、こういう小さなことを凌駕する才能があって、足し引きしてプラスになっていたらいいんでしょうけどね。
堀江:でも、それは圧倒的な才能だよね。例えば昭和歌謡の人たちってすごいじゃん。※玉置浩二さんとか、もう、友達の店で、目の前で弾き語りを聞いたことがあるんだけど、もう圧倒的だった。
玉置浩二はもう何をしてもいいと思いました。そういうことだよね。そういう圧倒的な才能がないと総合力でカバーみたいな。
水野:まさに、そうですね。
誰でも技術を簡単に学べる時代
堀江:今の時代、スマホやインターネットの発達によって、効率よく技術を学ぶことが可能になって、技術のもつ価値がどんどん下がっていると思うんだよね。最近イケてる料理人だって、修行とかしてないんだよ。
水野:短期間だけですか?
堀江:いやいや全然。YouTube観て、魚のさばき方覚えましたとか。最近、僕は「WAGYUMAFIA」といって日本の和牛を世界に紹介する仕事をしていて肉に詳しくなったんですけど、肉の味は切り方ですごく変わるの知ってます?
水野:いえ。そうなんですか。同じ肉でも?
堀江:※「牛角」って値段の割には美味しいよね。それ以前の焼肉屋って、「牛角」よりも高くて、それほど美味しくなかったんですよ。なんでだと思う?
水野:切り方の違いだったんですか?
堀江:肉って、筋とか脂肪とかの山なわけ。それを丁寧に取る、磨くっていうんだけどね。筋肉の周りの脂肪を削ぎ落として、筋を取って、肉の繊維に沿って切っていく。
水野:めちゃくちゃ難しそうですね。
堀江:いや、めちゃくちゃ簡単なんだよ。毎日やっていたら誰でも覚えられる。魚を三枚に下ろすみたいな技術なんだよね。
これまでは、それを難しいことのように見せていただけ。というか、やるのは店の職人さんだけで、他の人に触らせもしなかった。肉は俺がみたいな感じで。
水野:3年修行してからだ、みたいな感じですね。その人たちが技術の価値を守っていたんですね。
堀江:そうそうそう。そういう状況だった。牛角の創業者の西山さんって人は、それを見抜いて、肉屋に切ってもらったわけ。
水野:あ、自分たちで切らずに。
堀江:自分たちでやらずに、こんな感じにカットしてもらえますかって肉屋さんに頼んだわけ。普通に卸すより値段高くなるけどいいの?って言われても、いいですって。
で、全部肉切ってもらって、真空パックにして、店に送ってもらって、バイトの子がパックを開けて、皿に並べる。
水野:システム化したわけですね。
堀江:そうそう。すると高かった職人さんの人件費が浮いたわけ。
それで高かった焼肉がめちゃくちゃ安くできて、さらにもっといい肉を仕入れられるようにもなった。
美味しい肉を安く提供できるようになって、牛角が一気に全国に広がっていったんだよね。実は技術ってそういうところがある。
YouTubeでみんなが肉の切り方を学べるようになったら、センスのいい人ならすぐできるようになる。音楽の世界もそうじゃない?
もうスマホで音楽つくれるようになっているし、ボーカロイドがあるから歌えなくてもできる。
水野:できますね。
堀江:楽器なんてできなくても、曲や詩のセンスがあればできるじゃないですか。それがもっと進むとDJになるわけですよね。
こんな感じの曲が流行りそうだなって、サウンドクリーエータに作ってもらって。
最近、この子イケてるからフィーチャリングしようみたいな。
で、USBをピッと挿せば、盛り上がっちゃう。
水野:なんかすごく簡単な感じがしちゃいますね(笑)
堀江:いやいや全然簡単ではないですよ。簡単だって言いたいわけじゃなくて、技術の優位性が前よりすごく落ちているよねと思っているんですよ。
水野:今DTMといって、デスクトップでの曲作りが主流で、誰でも一人で曲が作れるんです。その一方で、1人で全部やって完結しちゃう人が多いんです。そうすると一人の世界で深くなっていく一方であんまり外に発展していかない。
僕らは何もできないタイプのミュージシャンで、技術も少ない。音楽家の技術が100あったら、大半の90くらいはできないところからスタートしているんです。
そこは人で補うしかありませんでした。人との関わり合いでやってきた。
だから愛される必要があった。90の人に愛されないと前に進めなかったんです。
仮にDTMで1人で完結していたら、僕らの場合はできなかったものがたくさんあると思うんですよ。
だから、どれだけ多くの他者と繋がれるかを考えていたと思いますね。
堀江:それって、今風に言うと共犯者を作るとか、中の人を作るということに繋がっていくのかな。中の人になると自分の作品になるから一緒に売ってくれるんですよね。
やっぱり「いきものがかり、サポートしてるんだよね」って言いたいじゃないですか。中の人たちを1万人にして、1人が10人に声かけたら、10万人のお客さんがきてくれる。そう考えると、もっともっとやれますね。
時間を超えていく、音楽の力
堀江:僕、本当は音楽作りたいんです。ライブとかって、気持ち良さそうだなって思って。
水野:あ、そうなんですか! やったらいいじゃないですか。歌うのが快感なんですか?
堀江:歌って踊って楽器をやるのが快感なんですよ。カラオケなんかでも、新しい曲を覚えたいタイプなんで、どんどん新しい歌をやりますね。古い歌も好きだけど、もうほとんど歌っているし。
水野:曲も作れるんじゃないですか?
堀江:作っているんですよ。iTunesで出してます。詩を書いて、曲をつけてもらって。
水野:動機がすごく気になるんですけど。色々やられているじゃないですか。やっていることそのものが快感なのか。何か作って喜んでくれる人がいることが快感なのか。堀江さんの快感のポイントってどこなんですか?
堀江:こんなサービス流行るんじゃないかと仮説を立てる。
新しく作った※VALUってサービスもそうなんですけど、立てた仮説以上にうまくいきそうで、すごい快感なんですよ。
自分が仕掛けた何かが、思いの外みんなに受け入れられた、喜んでくれた。それを見るのが好きなんです。
水野:他者の喜びがあるんですね。
堀江:僕は他者の喜びですよ。自分の快感というよりは、他者の喜びが快感なところがある。
水野:勝手な偏見かもしれないですけど、堀江さん自身の中に快感が収まっているのかと思っていました。その反応を見ていらっしゃるんですね。
堀江:反応を見てますよ。そのフィードバックの繰り返し。ただ仕事が8、9割くらい進んじゃうと、次に行きたくなっちゃう。新しいこと、難易度の高いことにチャレンジしてしまう。だから音楽おもしろいなって思っているんです。
水野:僕が音楽を志した頃は、「僕の気持ちはこうなんだ」という主張をただ表現することに憧れていたんです。
言っただけで満足できると思っていた。でも、だんだんそれじゃつまらないなって思って。
自分が作ったものが誰かに届いて、プラスになる。「この曲で彼氏のこと思い出すんです」とか、「母親の葬式で流したんです」とか。作ったものが、誰かに届いて、その人の人生にプラスになることに快感を覚えるんです。
その反応がデカく出て欲しいから、でっかいステージに行きたい。堀江さんも近いんだなって思いました。
堀江:結婚式で必ず歌われる曲とか作りたいですよね。
水野:最高ですね。嬉しいですよね。今もテレビで花束を渡すときに「ありがとう」(いきものがかり18作目のシングル)が流れると、どうもありがとうございますっていつも思っています。
堀江:だいたい流れますよね。あーいう曲が、すごくいいなって思いますね。
水野:※「上を向いて歩こう」が、憧れの曲なんです。
50年くらい前の曲で、今、上を向いて歩くことがまるで前向きなことのように思えているのは、あの歌の影響があると思うんです。
あの歌の精神性やプロットみたいなものが、日本人の価値観の方向付けに関わっているような気がしています。
堀江:シンプルなメロディーラインなのに、ずっと歌い継がれている。本当にすごいですよね。
水野:震災のようなすごくきつい悲しみにも繋がれるし、常日頃の悩みも受け止められる。その器の大きさに憧れます。
堀江:作れるんじゃないですか?
水野:作りたいです。頑張りたいです。
堀江:音楽ならできますよね。あれだけたくさんの人たちに届けられるのって、音楽の力ですよ。
水野:時間を超えていくのもいいですよね。僕が死んでも、音楽は残っていきますから。残ってくれているから、僕も前の人たちの音楽に出会えている。
堀江:いい言葉が出てきますね。さすがだなぁ。ぜひずっと歌い継がれる素晴らしい歌を作ってください。期待しています。
堀江貴文
1972年、福岡県生まれ。SNS media&consulting株式会社ファウンダー。現在は宇宙ロケット開発や、スマホアプリ「TERIYAKI」「755」「マンガ新聞」のプロデュース、また予防医療普及協会としても活動するなど幅広い活躍をみせる。
水野良樹(ソングライター)
山下穂尊、吉岡聖恵と1999年いきものがかりを結成。 2006年メジャーデビュー。デビューシングルの「SAKURA」をはじめとして作詞作曲を担当した代表曲に「ありがとう」「YELL」「じょいふる」「風が吹いている」など。デビュー10周年を機にグループは2017年1月放牧宣言(活動休止)を発表。国内外を問わず、さまざまなアーティストに楽曲提供をする他、ラジオ、テレビ出演、また雑誌、web連載など幅広い活動を行っている。現在、J-WAVE「SONAR MUSIC」(木曜日)にレギュラー出演中。