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遠い国だけど交流は明治時代から!  日本と中南米の関係とは?

遠い国だけど交流は明治時代から!  日本と中南米の関係とは?

中南米の国と聞いて、どんなことを連想する?
 
サッカーが強い!陽気なカーニバル!サンバのリズム!
 
…って、身近に思い浮かべるのはそのくらい?
 
でも、ほかにも大事なことがある。
 
日本と中南米の国々は、友好関係の歴史が古く、100年以上前から交流している国も多いんだ。
 
今、日本は中南米の国にさまざまな援助をしているけれど、日本も中南米から助けられてきた。
 
例えば、さまざまな産業に必要な銅や銀など鉱物資源や、みんなの食卓に並ぶ大豆や魚、果物などの食料。
 
これらは中南米から輸入されたものも多い。
 
そこで、中南米との交流や開発協力について、専門家に話を聞いてみた。
 
話してくれたのは、外務省国際協力局の国別開発協力第2課の松本勝弘さん。
 
外務省に入って35年のベテラン外交官だ。
 
コロンビアやペルーなど中南米の4つの国に赴任した経験があり、現在は外務省で中南米の経済発展を支援するODA(政府開発援助)にかかわっている。
 
遠く離れているけれど、結びつきは深い! 日本と中南米の関係

※中南米の国々(出典:外務省ホームページ)

 

日本が国際社会で活動することを助けてくれた

遠く離れているけれど、結びつきは深い! 日本と中南米の関係

「中南米の国々は地球の反対側にあり、距離は遠いですが、日本とは古くから強い結びつきがあります」

その交流の歴史を教えてもらった。
 

19世紀後半:日本と平等な条約を結んでくれたのが、メキシコ

「明治維新を迎え、長く鎖国をしていた日本は開国。
 
しかし、欧米列強と不平等条約を結ばされていました。
 
貿易などで日本に不利になる条約です。
 
そんな時代の1888年(明治21年)、アジアの国以外で初めて日本と対等な条約を結んでくれたのはメキシコでした」

その後、20世紀初めにかけ、日本はほかの中南米諸国とも次々に国交を結んだ。
 

19世紀末~20世紀初め:多くの日本人が中南米へ移住

「そのころの日本は貧しかったのですが、中南米の国々は農産物がたくさん採れて豊かでした。
 
中南米での成功を夢見て、多くの日本人が移住したのです」

そんな移民の子孫(日系人)が今も中南米に住み、その数は約211万人(※)にもなる。
 
世界には約380万人(※)の日系人がいて、その半数以上が中南米諸国で暮らしていることになる。
 
中南米の日系人は政治、経済など幅広い分野で活躍していて、中南米と日本の関係強化にも貢献している。
 

20世紀半ば:第二次世界大戦後、日本の国際社会復帰を支援

「第二次世界大戦で敗戦国となった日本。
 
国際社会への復帰を助けてくれたのが中南米の国々でした。
 
1956年(昭和31年)、日本の国連加盟のときに中南米の多数の国が賛成してくれ、日本は国連に加盟することができたのです」

また、戦後の荒れ果てて食料や生活用品が不足してしまった日本に、アルゼンチンなど中南米の国々が積極的に援助物資を送ってくれたのだという。
 

(※)公益財団法人海外日系人協会の調査より(2016年の推定値)

中南米との絆を強めた開発協力

遠く離れているけれど、結びつきは深い! 日本と中南米の関係
 
日本は中南米など海外からの援助物資や、世界銀行などからの資金の援助を受け、戦後の貧しさから立ち直った。
 

経済大国へと成長し、開発途上国の発展のための援助をするようにまでなった日本。

「中南米諸国にも、産業の発展を支援するためのさまざまな協力を行ってきました」

例えば、次の2つの案件。
 

不毛の地を農業生産地帯へと開発(ブラジル)

「ブラジルにセラードと呼ばれるサバンナ地帯があり、作物が育たない不毛の地といわれていたのです。
 
その地を農業生産地帯にするために、1970年代後半から20年以上かけて、日本が開発協力を行いました。
 
資金の協力や土壌の改良、作物栽培技術の指導などの支援をし、肥沃な農地になりました。
 
今、ブラジルは世界一の大豆生産国で、その多くはセラ―ド産です。
 
このほか、セラードではコーヒー豆、野菜、畜産物などが生産されていて、日本をはじめ、世界へ輸出されています」

サケ養殖業の振興を支援(チリ)

「チリにはサケは生息していなかったのですが、1969年に日本の技術協力でサケ養殖事業が始まりました。
 
今ではノルウェーと1、2を争うサケ輸出国です。
 
私たちの食卓に並ぶサケも、チリ産のものが多いと思います」

最近はどのような協力をしているの?

遠く離れているけれど、結びつきは深い! 日本と中南米の関係
中南米の国々は政治情勢が安定しない時期もあったが、1990年代頃からは民主主義が定着し、経済成長を続けている。
 
過去10年間で国内総生産(GDP)の合計は約2.6倍に増えている(※)。
 
そんな中南米では現在も日本の開発協力が行われている。
 
主には次のような協力だ。
 

防災分野の協力

中南米諸国は地震や津波、ハリケーンなど、日本と同じく自然災害が多い地域。
 
そこで、日本の防災に関する知識と技術を伝えるという協力を行っている。
 
例えば、
・避難訓練の方法を教える
・防災のためのインフラ(社会基盤)整備(※1)
・自然災害モニタリング(※2)
・被害を少なくするための減災技術向上
・防災計画を作る
・防災教育
・津波警報システムをつくるための技術指導
・関連機材の提供
などだ。
 
(※1)防災のためのインフラ(社会基盤)整備
例を挙げると、災害が起きたときに備えて避難所などの施設を造ったり、
洪水に備えて川に堤防を造るなど。
 
(※2)自然災害モニタリング
自然災害による影響を未然に防ぐため、監視をすること。
例えば豪雨が起きたとき、河川の氾濫による洪水の影響を未然に防ぐため、センサーなどの機器で水位を監視する。
 

再生可能エネルギーなどの環境分野

中南米の国々は経済的に発展し、電力を使う量が増えている。
 
しかし、この電力を火力でまかなうと、石油などの費用が増えてしまうという問題が出てくる。
 
そこで、注目されているのが太陽光や風力、地熱など自然の力で作る「再生エネルギー」の活用。
 
日本は水力発電所の整備、地熱発電所建設の支援、太陽光パネルの提供、省エネ機材の供与といった支援をしている。
 

「草の根・人間の安全保障無償資金協力(草の根無償)」プロジェクト

中南米は経済的に豊かな地域や都市もあるが、水道の設備すらなく、川の水をそのまま飲んでいるというような地方も多い。
 
そんな貧しい地域の住民を主に支援するのが草の根無償。
 
水道などの小規模なインフラのほか、学校や病院の整備、農業支援など、草の根の住民の生活を向上させるための支援をする。
 
(※)参考:外務省中南米局中米カリブ課編集「日本と中南米」
 
遠く離れているけれど、結びつきは深い! 日本と中南米の関係

※中南米の日本大使館に勤務していたとき、「草の根・人間の安全保障無償資金協力」のプロジェクトにもかかわったという松本さん。写真はウルグアイの地方での農業機材を提供した際の記念式の様子

 

日本と力を合わせて他の途上国を支援している!

遠く離れているけれど、結びつきは深い! 日本と中南米の関係

※【東日本大震災の被災地を励ましてくれた!】2011年3月に起きた東日本大震災。
ウルグアイの小学生が、日本の被災地を励ますために日本大使館を訪問してくれたときの1枚。
「ウルグアイ政府から50万ドルの義捐金をいただき、大統領をはじめ政府関係者、県知事、多くの一般市民の方からお見舞いや援助物資、また激励をいただきました。
大使館に来てくれた子どもたちからも、折り鶴や励ましのお手紙をいただいたんですよ」

「中南米への支援で力を入れているひとつに『三角協力』があります」

三角協力とは、日本の援助によって身につけた技術や知識を生かし、今度は日本と一緒に協力しあい、ほかの途上国を援助しようというもの。
 
この三角協力で、主に日本とパートナーを組むのは中南米諸国の中でも国民の所得水準が高いメキシコ、ブラジル、チリ、アルゼンチンの4カ国だそう。
 
三角協力ではどんな支援が行われているの?

「例えばチリでは、日本と力を合わせて、防災分野の三角協力に取り組んでいます。
 
具体的には中南米のほかの国々を対象に防災に関する専門家を育てるプロジェクトです」

日本が一方的に援助するだけではなく、共に何かを成し遂げるパートナーの関係になってきているんだ!
 
 

赴任先のパナマで歴史的な事件に遭遇

「中南米では、『日本は信頼できる国』と評価されています。現地で事業活動を行う日本企業も増えています」

と、松本さん。
 
今まで中南米にかかわってきたなかで忘れられないできごとは、パナマの日本大使館に勤めていたとき、アメリカ軍によるパナマ侵攻に遭遇したこと。
 
今から約30年前、1989年12月から1990年1月にかけて起きた事件だ。
 
当時、軍事独裁政権だったパナマにアメリカ軍が侵攻し、この事件のあと、パナマの軍事政権は崩壊した。

「街では銃撃戦が繰り広げられました。
 
日本大使館の前でもアメリカ軍の戦車が走り回り、ふだんは穏やかなパナマの人たちも武装していて、緊迫した毎日でした。
 
怖かったですが、世界の歴史が変わる場面に立ち会うことができたと思っています」

遠く離れているけれど、結びつきは深い! 日本と中南米の関係

※【アンデス諸国解放の父・ボリバルの家】
その昔、スペインに支配されていたアンデス諸国を独立へと導いたシモン・ボリバル(1783~1830)。
そのボリバルが数年間住んでいた家が、コロンビアの首都ボゴタに残されている。各国の政府関係者などがコロンビアを訪問した際には、この邸内のボリバル像に花を捧げるのが習わし。
2014年に日本の安倍総理大臣が訪問した際も、花を捧げている

 

高校生の皆さんへ

遠く離れているけれど、結びつきは深い! 日本と中南米の関係
そんな松本さんから高校生にメッセージをもらった。

「私が外交官の仕事を長くやってきて思うのは、外国人も日本人も基本的には同じということ。
 
文化や考え方の違いはあっても、外国人も私たちと同じように悩んだり苦しんだりしながら一生懸命頑張っているんです。
 
だから『相手は外国人』と、構える必要はありません。
 
その国の言葉を話せなくても、身ぶり・手ぶりを交えたりしてコミュニケーションは取れます。
 
皆さんも留学や旅行で外国へ行ったときには、現地の人と積極的に話してみてください

もちろん、海外にかかわる仕事を目指すなら外国語の習得は必須。

「まずは英語の勉強を頑張りましょう。
 
語学上達のコツはたくさん聴いてたくさん読むこと。
 
リスニング教材や、英文で書かれた小説やニュースなど、いろいろ活用してくださいね」

ベテラン外交官からのアドバイス、ぜひ参考にしてほしい!
 
遠く離れているけれど、結びつきは深い! 日本と中南米の関係
 

(プロフィール)
松本勝弘
 
外務省 国際協力局 国別開発協力第2課 課長補佐
 
外交官の仕事に興味をもったのは、小学校高学年から中学生にかけてのころ。
 
当時(1970年代前半)、テレビ番組で世界各地の古代遺跡が紹介されるのを見て、「外国へ行ってみたい」とあこがれたことがきっかけ。
 
大学(法学部)卒業後、1985年に外務省へ入省。1986年から2年間、在スペイン日本国大使館で研修。
 
その後、在パナマ日本国大使館へ勤務。1991年に帰国し、領事移住部(現・領事局)邦人特別対策室勤務。
 
1995年から4年間、中南米局中南米第2課にて勤務した後、人事院で研修。2000年から2007年まで、在ペルー日本国大使館、在コロンビア日本国大使館、在スペイン日本国大使館に勤務。
 
帰国して軍縮不拡散・科学部国際科学協力室に勤務し、2010年から再び中南米へ。在ウルグアイ日本国大使館と在コロンビア日本国大使館に勤務。2016年に帰国し、現在の業務に携わる。
 

遠く離れているけれど、結びつきは深い! 日本と中南米の関係

※【ウルグアイの首都モンテビデオにある日本庭園】
日本とウルグアイの国交80周年を記念し、2001年につくられた日本庭園。
フアン・マヌエル・ブラネス博物館の敷地内にある。
「モンテビデオ市民の憩いの場として地元に根付いています」

 

*松本さんの中南米こぼれ話*

 

冬なのに湿度が高く、パナマでは靴にカビが生えて緑色に!

日本では夏の暑いときに湿度が高くなり、寒くなると乾燥します。ところがパナマは亜熱帯性気候で1年中、高温多湿。日本で冬にあたる雨季でも湿度が90%くらいになります。
 
冬でもカビには要注意です。私のお気に入りの黒の皮靴も1週間でカビだらけになり、緑色に…。その後は、本革の靴はあまり買わなくなりました。
 
カビでの失敗はまだあります。ペルーに赴任していた冬、同僚のパソコンが動かなくなって中を調べたらハードディスクにカビが生えていたそうです。
 
ビックリです(笑)。ペルーの冬も湿度が高いので、室内に除湿器は欠かせませんね。現地でしか味わえない経験でした。

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小林裕子 フリーランスライター

小林裕子

出版社などで編集を経験し、フリーに。情報誌やWebサイトで仕事、資格、地域コミュニティ、住宅、生活スタイルなど幅広い分野で活動しています。さまざまな世界で活躍するプロフェッショナルを取材し、高校生の役に立つ情報をお伝えしていきたいです。

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