探求心をもって、治療家の道を目指してほしい
桑原 勝仁さん 2004年度入学
■ケガ治療をするために柔整学科に入学
私は、子どもの頃、いわゆる虚弱体質でした。運動が苦手だったこともあり、よく骨折などのケガをしては整骨院のお世話になっていました。
そんな私を、両親は何かと心配し「姿勢が悪いのがいけないのでは」と、姿勢矯正のために幼少期から整骨院に通わせていました。
成長と共に徐々に身体が強くなった私は、中学・高校ではテニス部に所属。今度は骨折や捻挫など、練習中にケガをするようになり、整骨院で治療してもらっていました。
つまり私にとって整骨院という場は、とても慣れ親しんだ場所でした。ケガや不調を治してくれる先生を信頼して、感謝していました。そしていつしか、自分も先生のように、人を治すことを一生の仕事にしたい...と思うようになったのです。
治療家を目指すにあたり、私はまず整体師の資格取得を目指しました。整体院で仕事をしながら、先生に師事し、整体師の資格をとりました。
整体師の資格取得後、足立区の整骨院内で整体の仕事をしながら整骨院の手伝いをしていました。その院は、子どもからお年寄りまで、その地域に暮らす人々に寄り添った存在でした。ケガや不調に苦しむスポーツ少年少女もたくさんやってきます。しかし、当時の私の立場ではケガを治すことはできません。
そこで、柔道整復師の資格をとろう! と、日本健康医療専門学校(以下、ニッケン)に、働きながら通うことにしたのです。
■ユニークな恩師が語る大きな夢
当時のニッケンは、設立して2年目。校舎はピカピカで、環境が整っていました。また、 新しい学校らしく、フレッシュな雰囲気に満ちていたという印象があります。
一方、講師の先生は、ユニークな方々が多く、授業がとても楽しかった。
自分の腕で治療家としての道を切り拓いてきた...という気概に溢れる先生ばかり。知識と技術力がすばらしく、教え方もとても上手でした。
比較的年齢の若い先生が多かったこともあり、相談なども気さくにのってもらえました。
ある一人の先生とは、いまだにお付き合いさせていただいています。
その先生は、当時からスケールが大きい人で「柔整師を主人公にしたドラマを作りたい」と言いだしたり、とにかく発想がユニークでした。今にして思うと、この業界全体を底上げしたい、メジャーにしたいという夢を抱いていたのかもしれません。
そんな恩師との語らいの中から、私も考え方やビジョンの描き方など、けっこう影響を受けたと思います。
ニッケンでの毎日は、ただただ多忙でした。
当時の私は、結婚して2年目で子供も産まれたばかりの中、妻と周りの人達の応援もあり、学校と仕事を両立することができました。
所属していた整骨院内で整体と手伝いをしながら、ニッケンで学ぶ。キャンパスライフの思い出なんてほとんどありません。
ただ、仕事と学業を両立したことのメリットはありました。
授業で理解しづらかったことを、院の先生や先輩に解説してもらったり、座学で学んだことを、仕事の現場で確認したり...。
西洋医学の場合は、実習や研修医制度など、医師になる前に現場で学ぶ機会があります。
当時は柔整の場合、3年間の座学だけでしたので、治療の現場を体験することはできませんでした。
その点でも、仕事と学業の両立は、非常に得られるものが多かったと思っています。
当たり前なのですが、身体は人によってそれぞれちがいます。実際には、教科書に出てくる通りの身体を治療することなんて、まずありえません。生身の人間の身体に触れ、そこからさまざまなことを学ぶことは非常に大事です。
今の学生の皆さんも、ぜひ在学中にアルバイトなどを通じて、治療現場の雰囲気だけでもいいので体験してほしいと思います。
多忙な毎日でしたが、目標は国家試験合格。勉強を怠るわけにはいきません。
そこで、時々数人のクラスメイトと一緒に合宿をしたりしていました。メンバーの家に集まって、分からないところを教え合ったりするのですが、だんだん飽きてきてマンガを読みだしたり、おしゃべりをしたり...後半はほとんど遊んでいるような状態ですが、それも楽しかった。青春っぽい思い出として残っています。その友人たちも、現在はみんな治療家として活躍しています。
ニッケンの先生方や勉強を共にしたクラスメイトのおかげで、無事に国家試験に合格。柔道整復師の免許を取得することができました。
それからまもなく、私は開業することになりました。
もともと独立・開業への強い意志があったというわけではありません。在籍していた院の後輩たちも増えてきて、そろそろ独立...というムードになりました。院長にも開業に向けてのサポートを受けながら、準備を進めました。
■誠心誠意の施術が口コミで評判に
2007年、港区浜松町に「ボディセラピー浜松町整骨院」を開業しました。
場所は地下鉄大門駅の階段を上がってすぐのビルの5F。ビジネス街という立地を選んだのは、勤めていた院とは全くちがう場所で、保険診療以外の治療も充実させたいと思っていたからです。
自然な流れで開業したとはいえ、当初は本当に大変でした。
以前の院では、待っていれば1日120人の患者さんが来てくれた。でも開業間もない私の院には、ほとんど患者さんが来ない日もあるのです。窓から外を見下ろすと、駅前の大通りということもあり、たくさんの人が往来しているのが見えます。でも、うちに来てくれる患者さんはいない...覚悟はしていましたが、厳しかったですね。
さすがに心が折れそうになりましたが、「できることをやるしかない」と切り替えて、ひたすら治療に専念しました。目の前の患者さんに対して、誠心誠意尽くして、治療を行なっていました。すると、患者さんの紹介や口コミで、徐々に患者さんが増えていきました。
開業から13年を経て、現在では「健康な体と心をコーディネート」する整骨院として、地域に定着しています。骨格筋をゆるめるために最適な「動かす」「伸ばす」「浸透圧」の三要素と「比較療法」を組み合わせた独自の手技で、不調を根本から改善することを目指しています。
治療家になってよかったことですか? 目の前にいる患者さんに施術を行うと、身体の状態や表情が変化して、効果が実感できることでしょうか。
人にサービスを提供する仕事というのは沢山ありますが、治療家のように患者さんに直接触れて、手技によって改善に導くという仕事はあまりないと思います。患者さんの痛みや不快感を取り除き、「楽になりました。ありがとう」と言われた時は、やっぱりこの仕事を選んでよかったと思います。
これからも、治療家としてさらに高みを目指したいと思っています。この業界で独立・開業を果たすと、その先には、多くの人材を育てたり、ビジネスを拡大したり...と、さまざまな選択肢があるのですが、私の場合は、どうしても自分の知識と技術を研鑽することに興味が集中してしまいます。治療とは、奥深く、尽きることのない学びの道です。このコロナ禍で私たちの仕事は、またあり方が変わっていくと思います。しかし、このような時だからこそ、体と心を結ぶために、必ず私たちの仕事は必要だと確信しています。ですから生涯かけて、この道を究める価値があると思っています。
この業界を目指す人にその理由を尋ねると、「人のために何かがしたい」と答える人が少なくありません。私自身もいまだにその思いはあります。しかし、そういった漠然としたイメージだけでこの職業を選び、いざ治療家の道を歩み始めると現実とのギャップに悩む人も多いです。
高い志を持つことはすばらしいですが、まずは目の前のことを一つひとつ学んでいってください。小さなことを達成して、それがつながることで見えてくる世界もある。そうなると仕事も楽しくなってくると思います。
治療家の仕事は技術職なので、積み重ねと探求心がなければ向上することはできません。
ニッケンで学びながら、その探求心の萌芽を育てていってほしいと思います。
私は、子どもの頃、いわゆる虚弱体質でした。運動が苦手だったこともあり、よく骨折などのケガをしては整骨院のお世話になっていました。
そんな私を、両親は何かと心配し「姿勢が悪いのがいけないのでは」と、姿勢矯正のために幼少期から整骨院に通わせていました。
成長と共に徐々に身体が強くなった私は、中学・高校ではテニス部に所属。今度は骨折や捻挫など、練習中にケガをするようになり、整骨院で治療してもらっていました。
つまり私にとって整骨院という場は、とても慣れ親しんだ場所でした。ケガや不調を治してくれる先生を信頼して、感謝していました。そしていつしか、自分も先生のように、人を治すことを一生の仕事にしたい...と思うようになったのです。
治療家を目指すにあたり、私はまず整体師の資格取得を目指しました。整体院で仕事をしながら、先生に師事し、整体師の資格をとりました。
整体師の資格取得後、足立区の整骨院内で整体の仕事をしながら整骨院の手伝いをしていました。その院は、子どもからお年寄りまで、その地域に暮らす人々に寄り添った存在でした。ケガや不調に苦しむスポーツ少年少女もたくさんやってきます。しかし、当時の私の立場ではケガを治すことはできません。
そこで、柔道整復師の資格をとろう! と、日本健康医療専門学校(以下、ニッケン)に、働きながら通うことにしたのです。
■ユニークな恩師が語る大きな夢
当時のニッケンは、設立して2年目。校舎はピカピカで、環境が整っていました。また、 新しい学校らしく、フレッシュな雰囲気に満ちていたという印象があります。
一方、講師の先生は、ユニークな方々が多く、授業がとても楽しかった。
自分の腕で治療家としての道を切り拓いてきた...という気概に溢れる先生ばかり。知識と技術力がすばらしく、教え方もとても上手でした。
比較的年齢の若い先生が多かったこともあり、相談なども気さくにのってもらえました。
ある一人の先生とは、いまだにお付き合いさせていただいています。
その先生は、当時からスケールが大きい人で「柔整師を主人公にしたドラマを作りたい」と言いだしたり、とにかく発想がユニークでした。今にして思うと、この業界全体を底上げしたい、メジャーにしたいという夢を抱いていたのかもしれません。
そんな恩師との語らいの中から、私も考え方やビジョンの描き方など、けっこう影響を受けたと思います。
ニッケンでの毎日は、ただただ多忙でした。
当時の私は、結婚して2年目で子供も産まれたばかりの中、妻と周りの人達の応援もあり、学校と仕事を両立することができました。
所属していた整骨院内で整体と手伝いをしながら、ニッケンで学ぶ。キャンパスライフの思い出なんてほとんどありません。
ただ、仕事と学業を両立したことのメリットはありました。
授業で理解しづらかったことを、院の先生や先輩に解説してもらったり、座学で学んだことを、仕事の現場で確認したり...。
西洋医学の場合は、実習や研修医制度など、医師になる前に現場で学ぶ機会があります。
当時は柔整の場合、3年間の座学だけでしたので、治療の現場を体験することはできませんでした。
その点でも、仕事と学業の両立は、非常に得られるものが多かったと思っています。
当たり前なのですが、身体は人によってそれぞれちがいます。実際には、教科書に出てくる通りの身体を治療することなんて、まずありえません。生身の人間の身体に触れ、そこからさまざまなことを学ぶことは非常に大事です。
今の学生の皆さんも、ぜひ在学中にアルバイトなどを通じて、治療現場の雰囲気だけでもいいので体験してほしいと思います。
多忙な毎日でしたが、目標は国家試験合格。勉強を怠るわけにはいきません。
そこで、時々数人のクラスメイトと一緒に合宿をしたりしていました。メンバーの家に集まって、分からないところを教え合ったりするのですが、だんだん飽きてきてマンガを読みだしたり、おしゃべりをしたり...後半はほとんど遊んでいるような状態ですが、それも楽しかった。青春っぽい思い出として残っています。その友人たちも、現在はみんな治療家として活躍しています。
ニッケンの先生方や勉強を共にしたクラスメイトのおかげで、無事に国家試験に合格。柔道整復師の免許を取得することができました。
それからまもなく、私は開業することになりました。
もともと独立・開業への強い意志があったというわけではありません。在籍していた院の後輩たちも増えてきて、そろそろ独立...というムードになりました。院長にも開業に向けてのサポートを受けながら、準備を進めました。
■誠心誠意の施術が口コミで評判に
2007年、港区浜松町に「ボディセラピー浜松町整骨院」を開業しました。
場所は地下鉄大門駅の階段を上がってすぐのビルの5F。ビジネス街という立地を選んだのは、勤めていた院とは全くちがう場所で、保険診療以外の治療も充実させたいと思っていたからです。
自然な流れで開業したとはいえ、当初は本当に大変でした。
以前の院では、待っていれば1日120人の患者さんが来てくれた。でも開業間もない私の院には、ほとんど患者さんが来ない日もあるのです。窓から外を見下ろすと、駅前の大通りということもあり、たくさんの人が往来しているのが見えます。でも、うちに来てくれる患者さんはいない...覚悟はしていましたが、厳しかったですね。
さすがに心が折れそうになりましたが、「できることをやるしかない」と切り替えて、ひたすら治療に専念しました。目の前の患者さんに対して、誠心誠意尽くして、治療を行なっていました。すると、患者さんの紹介や口コミで、徐々に患者さんが増えていきました。
開業から13年を経て、現在では「健康な体と心をコーディネート」する整骨院として、地域に定着しています。骨格筋をゆるめるために最適な「動かす」「伸ばす」「浸透圧」の三要素と「比較療法」を組み合わせた独自の手技で、不調を根本から改善することを目指しています。
治療家になってよかったことですか? 目の前にいる患者さんに施術を行うと、身体の状態や表情が変化して、効果が実感できることでしょうか。
人にサービスを提供する仕事というのは沢山ありますが、治療家のように患者さんに直接触れて、手技によって改善に導くという仕事はあまりないと思います。患者さんの痛みや不快感を取り除き、「楽になりました。ありがとう」と言われた時は、やっぱりこの仕事を選んでよかったと思います。
これからも、治療家としてさらに高みを目指したいと思っています。この業界で独立・開業を果たすと、その先には、多くの人材を育てたり、ビジネスを拡大したり...と、さまざまな選択肢があるのですが、私の場合は、どうしても自分の知識と技術を研鑽することに興味が集中してしまいます。治療とは、奥深く、尽きることのない学びの道です。このコロナ禍で私たちの仕事は、またあり方が変わっていくと思います。しかし、このような時だからこそ、体と心を結ぶために、必ず私たちの仕事は必要だと確信しています。ですから生涯かけて、この道を究める価値があると思っています。
この業界を目指す人にその理由を尋ねると、「人のために何かがしたい」と答える人が少なくありません。私自身もいまだにその思いはあります。しかし、そういった漠然としたイメージだけでこの職業を選び、いざ治療家の道を歩み始めると現実とのギャップに悩む人も多いです。
高い志を持つことはすばらしいですが、まずは目の前のことを一つひとつ学んでいってください。小さなことを達成して、それがつながることで見えてくる世界もある。そうなると仕事も楽しくなってくると思います。
治療家の仕事は技術職なので、積み重ねと探求心がなければ向上することはできません。
ニッケンで学びながら、その探求心の萌芽を育てていってほしいと思います。