高校生の留学体験⑤報道とは違った!中国で親日の架け橋に

■寮に入り、朝7時半から勉強する中国の高校生

 

近年、めざましい経済発展のなかにある中国に、数多くの日本企業が進出。中国から日本へやってくる旅行者や留学生も多い。その一方で、領土問題や歴史認識をめぐる日本との対立は根強い。

 

中山はるかさん(高3)が、そんな中国への留学を決めたのはシンプルな理由からだ。

 

「いろんな人と話したいと思っていたので、それなら人口が多い中国で中国語を身につければいいんじゃないか、と。『海外に行きたくて中国を選んだ』というより、『中国へ行きたい!』でしたね」(中山さん、以下同)

 

中山さんは2011年8月~2012年6月まで、中国南東部に位置する湖南省長沙市に滞在。

 

中国には北京語や広東語、上海語など数多くの地方語があり、発音、語彙、文法などが大きく異なる。地域住民は長沙市周辺の方言を話すが、学校や家族は標準語とされている標準話(北京語)を使うという。

 

簡単なあいさつ程度しか話せない状態で留学した中山さん。最初は「漢字なので、読むほうはだいたい理解できるのでは?と思っていたら、まったく違う字が使われていた」と慌てたが、2~3ヵ月後には電話にも出られるぐらいに成長した。一番のトレーニングになったのは「ホストファミリーの妹との口ゲンカ」だという。

 

ホストファミリーは両親と妹(当時中学2年)の3人家族。それまで一人っ子として両親の愛情を一身に受けていた妹にとって、突然割って入ってきた中山さんを受け入れるのは容易ではなかったようだ。最初の3ヵ月ぐらい、中山さんと妹はあまり打ち解けられず、しばしばぶつかっていた。

 

「一度、妹と夜のスーパーで大ゲンカしたんです。『なぜ少ししかお金を持っていないのに次々と商品をカゴに入れるんだ』とか、ささいなことだったんですが…。お互い言いたいことを言ってスッキリしたのか、それ以降は『お互い仲良くやろうか』という空気になりました」

 

高校生の留学体験⑤報道とは違った!中国で親日の架け橋に_01

 

ホストスクールは裕福な家庭の子どもたちが通う私立高校だ。留学生の中山さんは毎日ホストファミリーの家から学校へバスで通学し、日本の高校と同程度の授業時間を過ごして帰宅していた。しかし、現地の高校生は基本的に学校近くの寮に入り、朝は7時半ぐらいから、夜は9時~10時まで勉強するという。

 

「だからといって、みんな生真面目に勉強ばかりしているというわけではなく、明るくておもしろい子たちばかり。留学生の私にも積極的に話しかけてくれました。体育大会で突然リレーに引っ張り出されたり、寮に引きずり込まれそうになったり、楽しい思い出がたくさんあります」

■「昔の日本軍とあなたは違う」

 

中山さんが留学した時期は、日中関係が悪化に向かっていた時期と重なる。中山さんは帰国1ヵ月後、よく通っていた日系スーパーが襲撃されたニュースを見て驚かされた。留学中も反日ムードが高まっていたと思われるが、中山さん自身は日本人だからとイヤな思いをしたことは一度もなかったそうだ。「過激な行動に出ていたのは一部の人ではないか」と冷静にみている。

 

「近所に住むホストファミリーのおじいちゃん、おばあちゃんは日中戦争を経験していて、日本人に苦しめられた思い出がたくさんあるようです。でも、“その時の日本の軍隊と今の日本の市民は別”と考えていて、『あなたのことは大好きだから』と言ってくれていました。また、学校で席が隣になった友だちに、『はるかが来る前は日本人が嫌いだったけど、今はそんなことないよ』と言われ、とてもうれしかったのを覚えています」

 

高校生の留学体験⑤報道とは違った!中国で親日の架け橋に_02

 

日本に戻った中山さんは、留学前とは少し違う内面の変化を感じている。

 

「一番大きいのは、物事を多面的にとらえられるようになったこと。例えば日中関係でも、立場が違うと見方がまったく違ってしまいます。一方からだけ見てすべてを理解したつもりになるのではなく、相手の視点でものを見ることがとても大事だと思うようになりました」

 

また、自分自身についても客観的に見られるようになり、「勉強しなきゃだめでしょ!」と自らを律しながら受験勉強を頑張っているという。目指す進路は中国留学とは関係のない分野だが、中山さんの将来には留学経験が確実に生きていきそうだ。

 

※取材協力:公益財団法人AFS日本協会