~Vol.4~ 日本と巨大なアフリカが話し合う、アフリカ開発会議(TICAD)とは。
みなさんはTICADという国際会議をご存知でしょうか?
これは日本とアフリカの各国及び共催機関で行われる国際開発会議のこと。
2016年8月27日,28日に第6回目が開かれます。
TICADを支える北川さんにアフリカと付き合う理由とやりがいを聞きました。
12億人が、多種多様な環境や文化の中に暮らす、スケールの大きな「機会と希望の大陸」。 それがアフリカ。
【広大なアフリカの大地。 多種多様で感性豊かな人々や文化が生まれるのも、この大陸ならでは。 】
みなさんは、“アフリカ”と聞くと何を思い描きますか?
恵まれない子どもたち?紛争、干ばつや大飢饉?これも確かにアフリカの一面ではあります。
私も、最初は、そんなイメージを持っていましたが、赴任したボツワナは、ダイヤモンドなどの鉱物資源やサファリなどの観光資源に恵まれていて、福祉や教育制度が整った比較的豊かな国。
一口に、アフリカといっても、本当に多彩な国があるんだなぁと、感じた瞬間でした。
実際、アフリカには、54もの国があり、車で国境を越えたりすると、土の色からまるで違うような世界。 それだけ多様な人がいて文化がある。
アフリカには、いま約12億人以上が暮らし、日本からの距離は、約1万km。
日本からは遠く感じられるかもしれないアフリカ大陸と、なぜ、日本が手と手を取り合うことになったのかをお話しします。
約1万km、54カ国、34/49、1993。 TICADを知る4つの数字。
【54カ国もの国が集まるTICAD。 さらに2国間での対話もおこなうためタイトなスケジュールになることも多いのです。 】
TICAD【Tokyo International Conference on African Development(アフリカ開発会議)】という名称で、日本がアフリカとの対話を始めたのは、1993年に遡ります。
冷戦が終わり、欧米先進国が急速にアフリカへの興味を失っていた時代でもありました。
そんな中、日本がアフリカに注目したのは、世界の開発途上国の約7割を占めるアフリカ(49か国中34か国がアフリカの国々)に対する支援を行う必要性を感じたことに加えて、豊富な資源や増え続ける人口を背景とした巨大なマーケットなど、ビジネスパートナーとしてのアフリカにも限りない可能性を感じたから。
国際機関などの共催者たちとともに、日本がしっかりとアフリカと友好関係を築くことで、将来に渡って世界がアフリカを応援するような、よいパートナーシップの形をつくりたいと考えたのです。
こうして始まったTICADは、だからこそ「日本が一方的に援助を行う」という関係ではなく、アフリカが「将来的に自信を持って自立できる」ことを目的としたものでした。
こうして日本は、ずっと、アフリカの“パートナー”として、「アフリカの開発のためには何が必要なのか」という対話をアフリカ各国と行ってきたのです。
TICADにとって、今年は記念すべき年!
そんなTICADを通じ、23年間育んできた日本とアフリカの絆。 実は今年は、節目の年でもあるのです。
というのも、これまで、この会議は東京や横浜など、ずっと日本で行われてきたのですが、今年は初めてケニアで開催されるのです。
これは、アフリカ側からTICADを自分たちの大陸でやりましょう!我々がホストします!と提案があったもの。
TICADが目指してきた、アフリカが自ら主体的に国をつくっていくという「オーナーシップ」の考えが、具体的に表れた証です。
同時に、これまで5年毎に開催されていた会議も、アフリカと世界の進歩のスピードに合わせ3年毎の開催とすることに。
おおらかで、少しのんびりしたところのあるアフリカ人ですが、彼らの中には、自分たちの文化と考え方への強い誇りがあります。
そんな彼らと時間をかけながら、信頼関係をつくってこれたこと。
TICADの初のアフリカ開催は、そんな変化の象徴のように思えて、TICADに関わる私たちは、とても嬉しく感じているんです。
初のアフリカ開催に向け、会議の準備も加速しています。
ただ、TICADは会議が終われば“終了”というものではありません。
たとえば、わたしが担当している保健分野は、大きな被害をもたらしたエボラ出血熱の西アフリカでの流行の教訓もふまえて、感染症に対応したり、より良い保健システムを幅広い人々に提供することを目指しています。
そのために、「保健分野の人材育成を○万人行う」など具体的に目標を決め、毎年進捗状況をチェックしながら、発展の道のりをサポートしていくのです。
これをTICADプロセスと呼んでいますが、今回で6回目を迎えるTICADVIはそのステップに進むためにアフリカ各国と日本及び共催機関が意思決定をする重要な場。
そして、この会議を節目として、次のプロセスに向け、課題解決に向けての道のりが続いていきます。
たとえば「カイゼン」。 アフリカで広まった日本語があります。
【太陽のように明るいアフリカの人々の笑顔には癒やされることも多いです。 現地の結婚式に招かれたときの一コマ。 】
ところで、みなさんはアフリカンタイムという言葉を知っていますか?
アフリカでは、日本よりも時がゆったり流れているように思えます。
たとえば、招待状にパーティーの開始時間が19:30と書かれていれば、人が本格的に集まり出すのは20:00過ぎという感覚。
ですから、会議をしたり、現地の人たちとプロジェクトを進めるときには、時間感覚の違いに驚くことも(笑)。
彼らからしたら、「日本人はなんで、そんなにセカセカしてるの?」という感じでしょうね。
こちらとしては、ハラハラすることがありつつも、次第にそうした感覚にも慣れてきたり、逆に彼らも、日本人が時間をきっちり守る人々だということに気づいてくれたり、お互い歩みよって付き合い方を見つけています。
他にも、日本らしさが広まった例として、「KAIZEN(改善)」があります。
整理、整頓、清掃、清潔、規律。
皆さんも学校の掃除の時間などで気を付けていますよね。
こういった、仕事を効率的に安全に行うために日本人が日常的に実践してきた考え方が、アフリカの人々に新鮮に受け止められ広まっています。
エチオピアでは、エチオピア工業省に「カイゼン機構」が設立され国民的な運動に。
アフリカの人たちが、私たちによい影響を受けたように、私たち日本人も、もっともっとアフリカを知り、刺激を受けて学び合う。
そういう関係になったら、世界は、きっともっと面白くなるような気がします。
北川さんの受験必勝法
私の場合、まず最初にざっくりと全体を俯瞰するスケジュールを立てることからはじめます。
夏休みなどの長い休みになると、勉強の計画を親に提出して、あとは思いっきり遊ぶ(笑)。
例えば期末テストに向けて何をいつまでにやる必要があるのか。
ブレイクダウンして勉強の計画を立て、勉強を開始後も週単位ぐらいで見直をしていきます。
今のペースが計画に合っているのかどうか。
遅れていたら、予定を書き変えたりして、その時間がある意味「息抜き」にもなっていました。
ひたすら勉強するだけじゃなくて、俯瞰的に自分の状況が見えていると、安心して勉強に取り組めますよね。
外務省の試験も、実は勉強時間が少なかったのですが、この方法で乗り切りました。
高校生のみなさんへ
どこの国も、どんな人と付き合っても面白い発見があります。
そんな私も、実は海外に対して不安を持っていた時がありました。
大学生の頃1年間アメリカに留学をしたときのこと。
当初はコミュニケーションがうまく出来ない自分にふがいなさを感じたこともありましたが、ルームメイトや友人との交流を通じて異文化交流や海外生活の楽しさと奥深さに目覚め、帰国する頃には、大学のドミトリーに何十人も招いて卒業パーティーをするほどに。
自分が思っていた世界が実はとっても狭かったことを知り、自分の母国の日本を見直すきっかけにもなりました。
自分で自分に制限を課さずに、発想を広く、思い切って表現したり行動を起こしてみれば、必ず同じ想いや考え方の人たちにつながります。
今は、みなさん勉強が中心の毎日だと思いますが、大学に入ったり社会人になったりすると世界は圧倒的に広がります。
自分の中にあるたくさんの興味の種を育てて、広い世界に備えてみませんか?
【ボツワナバスケット】
文房具入れにしているボツワナバスケット。
ボツワナの文化に欠かせない工芸品で、ヤシの葉を割いたものを編みこんで作られています。
贈答用として、大統領から海外の首脳陣に贈られることも多く、その際は大きなお皿形で、複雑な図形が編み込まれたもの。
素朴さの中にもボツワナのプライドが感じられる名産品で、アフリカグッズの可愛らしさにほっこり癒やされています(笑)
北川 典
外務省 国際協力局 国際保健政策室/TICADVI事務局保健サブ班
2005年外務省入省
仙台の大学で教育学を学んだ後、外交官を目指す。 入省後は在ボツワナ大使館や在シカゴ総領事館などに赴任。 TICADには5回目の会議から関わり、二国間会談を担当。 TICADVIやG7伊勢志摩サミットでは、保健分野の内容策定に携わる。 ボツワナで撮った美しい風景写真は現在在ボツワナ大使館のHPで確認できる。 高校時代には、バスケットボール部、書道部、写真部、など様々な部活に入りながら、自分の幅を広げたそう。
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スタサプ編集部