【小論文テーマ間違いなし!】富士山が世界遺産になったワケ
■自然遺産ではなく「文化」遺産として登録された富士山
2013年6月22日、富士山は晴れて正式に世界遺産となった。世界遺産には「文化遺産」「自然遺産」「複合遺産」の3種類があるが、富士山は「文化遺産」として登録された。
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世界遺産の種類
【文化遺産】 顕著な普遍的価値を有する記念物、建造物群、遺跡、文化的景観など
例)インドのタージ・マハル、ドイツ連邦共和国のケルン大聖堂など
【自然遺産】 顕著な普遍的価値を有する地形や地質、生態系、絶滅のおそれのある動植物の生息・生育地など
例)タンザニア連合共和国のキリマンジャロ国立公園、アメリカ合衆国のイエローストーン国立公園など
【複合遺産】 文化遺産と自然遺産の両方の価値を兼ね備えているもの
例)ギリシア共和国のメテオラ、グアテマラ共和国のティカル国立公園など
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国内では17番目の世界遺産。文化遺産としては法隆寺、姫路城、原爆ドーム、平泉などに次ぐ13番目の登録だが、海外でも抜群の知名度を誇る富士山がなぜ今頃世界遺産に?
実は1990年台に、「自然遺産」として登録しようという運動はあったが、ゴミ問題などがネックになり登録手続きがストップしてしまったのだ。方針を変更し、「文化遺産」としてユネスコに暫定リストを提出したのが2007年のことである。
「文化遺産」としての根拠のひとつは、富士山が信仰の対象として長い年月を刻んできたこと。その高さ、美しさ、噴火を繰り返した歴史…富士山が神聖な存在と見なされるようになったのは自然な成り行きだったといえよう。
例えば、周辺の各所には、噴火を鎮めるために浅間神社が建てられ、人々は富士山そのものをご神体として拝んだ。富士宮市には、全国に約1300ある浅間神社の総本宮・富士山本宮浅間大社があり、富士山八合目から上は頂上まですべて、この神社の境内となっている。これは国と裁判までして、「国有地ではなく神社の土地である」と認められたものだ。
富士山信仰の信者たちによって、信仰登山も行われるようになっていく。湧き水などで身を清めてから白装束に着替えて歩き始め、山頂でご来光を拝む信仰登山は、江戸時代に流行した。
富士山が見える場所には「富士見」といった地名が付けられ、富士山を模した富士塚も各地に造られた。高さ数十cm〜数十mの富士塚に登れば、本物の富士山に登拝したのと同じご利益があるとされ、足腰の弱った病人や老人、女性(昔の富士山は女人禁制)がお参りする習慣が生まれたのである。
また、富士山は多くの芸術家にインスピレーションを与えた存在でもある。絵画に描かれ、詩歌や物語にも数限りなく登場。葛飾北斎や歌川広重が描いた富士の絵は、ゴッホやゴーギャンなど西洋の芸術家たちにも愛された。こうした価値が認められ、世界遺産としての名称は「富士山—信仰の対象と芸術の源泉」に決定したのである。
■世界遺産に向け再出発の鎌倉
一方で、同じく世界遺産として登録を試みた鎌倉には「不登録」が勧告された。しかし、「武家の古都・鎌倉」として再挑戦を目指すことが決定している。
鶴岡八幡宮や、鎌倉大仏で知られる高徳院など、歴史ある寺社が集まっている鎌倉。観光地としての実力では、国内の世界遺産のいくつかを上回っているといっていい。
だが、世界遺産ということになると話は変わってくる。不登録の最大の理由は「武家の政権が存在した物的証拠がない」こと。確かに、鎌倉時代の建物はほとんど残っていない。武家政権の象徴である鎌倉幕府の跡を世界遺産の構成資産に入れたいところだが、まだ一部の発掘調査が行われている段階で、一般の人が見られるようにはなっていないのだ。
鎌倉の「不登録」の勧告は4段階の中の最低評価で、日本では前例がない。世界遺産が1000件に近づくにつれ、新規登録のハードルは上がっているといわれているし、ひとつの国の中で似通った内容の世界遺産が増えることは認められない傾向にある。するとやはり、日本には早くから世界遺産として認められた「古都京都」「古都奈良」の文化財があることが、鎌倉にとってネックになってしまうのだろうか。鎌倉が世界遺産になるには、京都や奈良などとの違いをアピールできる、武家政権ゆかりの具体的な構成資産を提示する必要がありそうだ。