料理をするうえで、大切にしているのは“香り”。料理も人も街も、香りがなければ無味乾燥なものになりますからね。自分の料理も、香りからイメージが湧いてきます。“職業”というところから離れ、自分そのもの、生き方そのものにもなるのが料理人。自分が出るし、出せる自由もある。そのためには、基盤をつくることが大切です。ベースが備わるまでは考えないといけませんが、骨格ができればあとは考えずに動くこと。オリジナリティは、そこから生まれます。苦しさはありますが、楽しさがそれを超えるぐらい、エネルギーにあふれた仕事です。僕のように強い動機がなくても、のぞいてみて興味があれば、この楽しい世界に入ってきてほしいですね。
中学生の頃、辻調(辻調理師専門学校)の小川忠彦先生がつくる、絢爛豪華なフランス料理を『料理天国』(料理バラエティ番組)で見て、わからないながらもヨーロッパの香りをバンバン感じたんですよ。ただ、当時は料理の道へ進もうとは、考えてもみませんでした。高校生になると留学生から英語を習い、留学を志したがうまくはいきませんでした。そんななか、辻調グループのフランス校を知り、大阪の辻調に行けば、1年後にはフランスに留学できるなと。洋服、音楽、料理すべて含めて『海外の文化を感じたい』という想いになっていたので、進学前に初めて行った、きらびやかなフランス料理店に感動したことで心が決まりました。
当時、行われていた研修旅行で、初めて海外へ。ドイツ、スイス、イタリア、フランスと巡り、さまざまな食を体験し、『トロワグロ』や『ポール・ボキューズ』など、ミシュランガイドの星つきレストランでは、夢のような時間が味わえました。料理がおいしいのはもちろん、キラキラ度合いが当時すごくて…。こういう世界で働きたいと強く感じました。その後のフランス校で体験したレストラン形式の実習では、サマータイムになるとテーブルを外に出してテラス席で行っていたんですよ。とても気持ちのいい食事の時間が、自分がイメージしていたヨーロッパの楽しさにもつながり、料理の素晴らしさを実感する決定的な経験になりました。
世界中を回って、その土地土地の食を体験したい。そのためには、やはり独立する必要がある。そんな想いから、約3年間、『グレープ・ガンボ』で料理長を務めたのち、2001年9月、『マルディグラ』をオープンさせました。これまでに訪れたのは約25カ国。数え切れないほどの都市で、その土地に根づいた食文化を体験してきました。土地の人が食べているものって、生活のなかに入り込まないと見えてこない。だから地元の人間しか行かないような市場や、普段着のおっちゃんおばちゃんが通う店へと食べに行きますし、一般家庭で料理を教えてもらうこともよくあります。体験したいことが尽きないんですよね。
マルディグラ/調理師本科/1987年卒/兵庫県出身。茨城県立水海道第一高等学校を卒業後、1986年に大阪の辻調理師専門学校に進学。辻調グループ フランス校を経て、東京のフランス料理店『ひらまつ亭』(現『レストランひらまつ広尾』)に就職。在籍中の1996年、パリのレストラン『ヴィヴァロワ』で約3カ月間研修し、ひらまつ系列店の東京・六本木『アポリネール』料理長に就任。退職後の1998年より、銀座『グレープ・ガンボ』の料理長を約3年間務める。2001年9月、東京・銀座に『マルディグラ』をオープン。テレビや雑誌などでの紹介はもちろん、食品メーカーでの商品監修、レストランの監修、地方食材のブランディングなどにも力を注いでいる。