辻調理師専門学校での教員生活を経て、『中国菜 feve.(フェーヴ)』をオープンしました。大阪には中国料理のオーナーシェフで秋田県出身者が自分以外いなかったので、何か特色になるだろうと考え、地元のアピールにもつながるよう秋田の名物を使った料理も考えてメニューに掲げました。コロナ禍をきっかけに、デリバリーサービスへの登録に加え、店頭での販売も開始。在宅勤務をする人々からの需要や、テイクアウトがきっかけで食べに来てくださる方も増えました。登録している予約サイトのレビューでは、大阪でも常に上位をキープさせてもらえています。お客様から高い評価をいただけているのが、とてもやりがいになっています。
両親が共働きで、家に帰ると祖母の料理を手伝うのが当たり前の日常だったんです。昆布や鰹、煮干しで出汁をとる祖母だったので、思い返せば恵まれた環境でした。楽しさは、つくって食べてもらって喜ばれること。それは今も変わりません。また当時、料理漫画にも夢中に。家庭料理の域を超えた世界を垣間見て、料理人への憧れが強まりました。中学時代にはもう、辻調に入ろうと決めていたのですが、親からは大学に行ってほしいと思われていて…。そんななか唯一、後押ししてくれたのが祖母。「人間の根底である衣食住がなくなることはないから、それを仕事にするならこの先絶対大丈夫だ」という言葉が、とても心強かったです。
日本料理を志していたんですが、入学から半年ほど経った頃の中国料理の実習中、鍋を振っていたら先生から「動きがいい」「中国料理に向いている」って言ってもらえて。意識していなかった分野でしたが、どんどん気持ちが傾いていきました。1年制課程の修了前には中国料理を勉強したいという気持ちが強くなり、辻調理技術研究所の中国料理研究課程へ進学。そこではコース料理のシミュレーション実習が毎日のように行われました。24人の学生を店側と客側に半分ずつに分けてローテーションする中で、店側になると、一人ひとりの責任が重く相当なプレッシャーでしたが、1年間で相当幅が広がりました。当時のレシピ資料はいまだに参考になります。
レストラン以外の業態を勉強したいと思い、小さな中華バルのオープンを考えています。真面目につくっていますので、人を呼べる料理とまでは言えませんが、離さない料理にはなっているんじゃないかと。一度召し上がっていただけたら、よっぽどじゃない限り外さないと思うんですよね。だから人が集まる場所に出せば回していけると思うんです。計画している店舗は10坪、人気が出れば予約を取ることがステータスにもなるという想定も、視野に入れています。現店舗は人を教育する場、新店舗は業態と数字を進化させていく場にするのが理想です。将来的には、自分の好きなコース料理を対面でご提供できる、カウンターだけのお店を開きたいんですよね。
中国菜 feve.(フェーヴ)/調理師本科/2005年卒/秋田県出身。秋田県立能代高等学校から辻調理師専門学校を経て、辻調理技術研究所 中国料理研究課程に進学。2005年に卒業後、母校である辻調グループに入職。2016年3月に退職後、東京の「俺の揚子江」、大阪の「ヒルマンレストラン」、「四川料理 御馥(イーフー)」で経験を積み、2018年6月、大阪市北区に中国料理店「中国菜 feve.(フェーヴ)」をオープン。