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僧侶はどのような歴史を背景に生まれていったのでしょうか。仏教が伝来し、宗教が開かれていくにあたって、修業をした僧侶が認定を受け、人材が養成されていきました。僧侶のたどってきたこれまでの歴史や僧侶がもつ役割の変遷にスポットを当てて紹介します。
日本において僧侶が認定されるまで
仏教が伝来したのは6世紀ごろと言われています。奈良時代になると東大寺に大仏がつくられ、地域ごとに国分寺ができていきました。
当初の仏教は中国から“舶来品の文化”として伝わってきました。「新しくてすごいものがあるらしい」という雰囲気です。当時はまだ僧侶もいませんから、中国人とやりとりをしていたのは、中国語が話せて漢字が読める知識層、いわゆる当時のインテリである貴族や役人が主でした。そのときに彼らに伝えられたのは大変難しい教えであり、考え方やシステムといった、哲学としての理論のようなものです。
そこで、日本においても仏教を学べる人間を増やそうと、中国へ人を派遣して学ばせ、国中に広げようとしました。それが僧侶の始まりです。国を代表して派遣されるお坊さん、すなわち国が認める特使であり、遣唐使です。のちに真言宗を開いた空海や天台宗の祖となった最澄も留学僧として中国にわたっています。
僧侶になるには手順があります。自分が僧侶になりたいと思っても、それだけでなれるわけではありません。授戒(じゅかい)といって、戒を授けてもらわなくてはなりません。その授戒をしてくれる人が当時日本にはいなかったため、中国へ行く必要があったのです。
厳しい荒波を乗り越えて中国へ航海し、やっとたどり着いてから修業を行い、また日本へ戻るには数年を要しました。僧侶が一人誕生するまでにかなりの年月がかかるので、なかなか僧侶は増えませんでした。そのうち、ある程度僧侶が増えてくると、今度は逆に、中国から僧侶を認定する人を招こうということになりました。それに応えたのが鑑真です。
5度の遭難にもめげず日本にやってきた鑑真が戒を授けてくれることになり、僧侶は次第に増えていきました。中国へ渡って勉強してきた最澄も人材育成に力を注ぎます。やがて、年分度者(国家公認の僧侶)として2名が認可発令され、天台宗が開かれました。密教を学んだ空海もやがて帰国し、真言宗を開きます。このようにして、僧侶は認定を受けて養成され、宗教を広めていったのです。
お寺と僧侶の役割の変遷
戦乱の時代が終わり、江戸時代になると日本国内は安定した時代へと入ります。すると、戸籍を管理する必要が出てきました。常に最新の状態を把握するためには、生死の管理をしなければいけません。それを地域ごとに任されたのがお寺の僧侶であり、これがのちの檀家制度の始まりです。
当時、町民などの平民は亡くなっても甕(かめ)に入れられるなどして土葬にされ、お墓もありませんでした。お殿様などごく一部の位が高く特別な人たちのみが葬儀を行い、お墓に葬られていました。それが徐々に一般にも浸透していきます。はじめは庄屋など裕福な層から始まり、やがて町民も住職に相談して葬儀を行うようになりました。
国のために祈っていた僧侶は、檀家の葬儀を執り行い、お墓を守るために祈るという役割をもつようになり、現在の姿が確立されていったと考えられています。