歴史の勉強は暗記が中心…。
そんなイメージも、
國學院大學で歴史学を学ぶ中で変わることでしょう。
それは、教科書に書かれているような
「通説」に疑問を持つことから、始まります。
史料に向き合い、合理的な検証と解釈を繰り返しながら、
自分の力で史実を解き明かしていく。
まさに知のトレーニングなのです。
歴史学のおもしろさや学びの意義について、
文学部史学科教授の矢部先生にお話を伺いました。
國學院大學 文学部長(史学科教授)
矢部 健太郎
國學院大學大学院文学研究科日本史学専攻博士課程後期修了、博士(歴史学)。防衛大学校人文社会科学群専任講師を経て、現職。専門は戦国・織豊期の政治史・公武関係史。
國學院大學大学院文学研究科日本史学専攻博士課程後期修了、博士(歴史学)。防衛大学校人文社会科学群専任講師を経て、現職。専門は戦国・織豊期の政治史・公武関係史。
たくさんの史料を読み込み、自分の「思い込み」を取り除く。それが歴史学研究の第一歩です。近年、国内外にある膨大な史料のデータベース化が進み、ウェブで簡単にアクセスできるようになったことで、研究者や学生が見られる史料の量が格段に増えました。これにより歴史学の最前線では、「通説」を覆すような新説が次々と発表され、史実がアップデートされています。
それでは、皆さんの思い込みの壁を揺るがす、いくつかの例を見ていきましょう。
「戦国時代」と聞くと、血で血を洗う戦いが繰り広げられた乱世というイメージが強いのではないでしょうか。でも、いろいろな史料を読み込んでいくと、話し合いや共闘、政略結婚、圧力をかけるなどをして、できるだけ平和裏に解決して戦争を回避しようとした戦国武将の姿が浮かび上がってきます。
戦国武将の代表格、織田信長のイメージはどうでしょうか。
ドラマや映画、小説、マンガなどのフィクションの世界では、信長は破天荒な革命児として描かれています。しかし史料を読み解く限り、実際はとても常識的な人ではなかったかと、私は考えています。例えば、信長の政策として真っ先に挙がる「楽市・楽座」は、当時の京都周辺でみられたものを地方へと広げただけ。鉄砲も、信長一人が取り入れたわけではありません。「比叡山焼き討ち」も、信長以前から何度も行われており、当時は「また焼けちゃったよね~」くらいの、軽い反応だったのではないでしょうか。
名誉や忠義を重んじた武士の生き様についても考えてみましょう。
格の高い武将は別として、ヒラの敵兵が白旗を上げたら、当時はそれも戦力として迎え入れていました。だから上杉・武田両雄の合戦で、「すみません!参りました~!」と早々降参した上杉方の兵がすぐに寝返って、翌日には武田方の兵になっていたことも。そんな日和見主義が公然とまかり通るような側面も、戦国時代にはありました。
天下統一を成し遂げ、歴史上初となる武家関白となった豊臣秀吉。晩年の秀吉は、権力者としての冷徹な面があったとされています。なかでも「秀次切腹事件」(1595年)では、二代目関白・豊臣秀次が伯父・秀吉に対する謀反(むほん)を企てたとして、秀吉が秀次に切腹を命じ、その妻子までも惨殺したというのが「通説」となっていました。
しかしこの悲劇は本当に、秀吉の命令によって引き起こされたのでしょうか。
従来の「通説」は、徳川の世となった江戸時代に書かれた軍記・物語などのフィクションでイメージ形成された部分が多くあります。ここで注意したいのは、徳川にとって豊臣はあくまで仇敵であるということ。だから「秀次切腹事件」も、江戸時代の軍記や物語では勝者・徳川の視点で、敗者・豊臣をおとしめるかのように、「もうろくした暴走老人・秀吉による愚行」として、語り継がれてきました。
こうした背景を持つ「通説」に、私はずっと心に引っかかるものがありました。そこで徳川方のバイアスがかかっていない、豊臣政権が発行した文書や事件当時の手紙・日記など「事件の確かな証拠となる史料」をあらためてひも解き、史実の再検証に取り掛かりました。その結果「秀次切腹事件」は、「通説」のように秀吉が命じたのではなく、「秀次は自らの身の潔白を訴えるために、自害した」という新たな解釈に至ったのです。
「通説」が必ずしも史実とは限らず、そこに疑問を持ち、掘り起こすのが歴史学のおもしろさです。そのためには、膨大な史料、情報があふれる中で、フラットな視点で「正しい情報(エビデンス)」と、そうでないものとをしっかりと見極め、分析し、的確にプランを立てていく力が欠かせません。こうして身に付けた力は、教職や研究職に限らず、一般企業に就職したとしても必ず活かせることでしょう。
また歴史に目を向ける中では、「歴史は繰り返す」の言葉通り、「人間はこういう場合に、こういう行動をとりやすい」といったモデルケースを見つけ出すこともできます。だから歴史を学ぶ価値とは、ただ後ろ向きに物事を考え、過去を理解することだけではありません。現代に生きる私たちが、これからの未来を見通すための「正しいものさし」を得られることにこそ、本当の価値があるのです。
本学の史学科には各時代を網羅する教授陣がそろい、國學院大學図書館の史資料の充実ぶりは、国内の大学の中でもトップクラスを誇ります。この学びの環境のもと数多くの史料と向き合い、先生や仲間たちから多くの示唆を受けながら、「こんな解釈もあるぞ!」というアイデアを論文にまとめ、発表する楽しさを、國學院大學でぜひ味わってください。
『関白秀次の切腹』
(KADOKAWA)
矢部健太郎 著
今回紹介した私の新解釈をまとめた本です。通説では、「老いた秀吉は、実の子である秀頼を後継者としたい一心で、甥の秀次に追放・切腹を命じた」と解釈されていますが、本当に秀次は秀吉の命令によって切腹したのか? 秀吉は数少ない肉親を殺そうとしたのか? これまでの通説とはまったく異なる彼らの姿を、さまざまな史料から浮かび上がらせた一冊です。
『関ヶ原合戦と石田三成』
(吉川弘文館)
矢部健太郎 著
関ヶ原合戦本の多くは、秀吉亡き後に、家康に実権が移るまでのドタバタ劇を記したものがほとんどです。しかし私が上梓したこの本では、前半で豊臣政権の構造をしっかりと語った上で、なぜこのような事態になったのか、そもそも秀吉は強固な政権体制を築いたはずなのに、なぜ家康はこれを壊せたのかなどについて解き明かしています。
『豊臣政権の支配秩序と朝廷』
(吉川弘文館)
矢部健太郎 著
豊臣政権は、秀吉の関白任官により、従来の幕府体制とは異なる政権体制を必要としました。武家関白と、天皇・公家衆が日常的にどのように交流していたのか、武家清華家(「清華成」大名)という身分秩序をどのように構築したかなど、私の博士論文をもとに出版した学術書です。発行部数が少ないので、図書館などでご覧ください(2022年に2刷が増刷予定)。