本当に、他人ごとでいいの?
“生活者の視点”から探る
途上国支援のカタチ

世界から貧困や格差を無くすには、どうしたらいいのか――
持続可能な開発目標(SDGs)を高校で学ぶなかで、
こうした課題に関心を持った皆さんも、多いのではないでしょうか。
社会経済学者の中馬祥子教授も、
途上国を取り巻く厳しい貧困や格差を
どうにかして解決したいと考えた高校生のひとりでした。
中馬教授とともに途上国について考え、
本当に必要な支援とは何か、豊かさの本質とは何か、
少し探ってみましょう。

PROFILE

國學院大學 経済学部 教授

中馬 祥子

ロンドン大学大学院農業経済学専攻修士課程修了後、東京大学文学部社会学専修課程に学士入学。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。社会学(修士)。専門は、女性労働論、非市場経済論、社会的連帯経済、国際経済。

ロンドン大学大学院農業経済学専攻修士課程修了後、東京大学文学部社会学専修課程に学士入学。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。社会学(修士)。専門は、女性労働論、非市場経済論、社会的連携経済、国際経済。

途上国のためになる支援とは何か?
「開発経済学」を巡る、
“先進国目線”と“途上国目線”のせめぎ合い。

中馬教授が途上国支援に関心を持ったきっかけを教えてください。

中馬教授: 中学・高校時代をミッション系の学校で過ごしたこともあり、道徳の授業などを通じて途上国の貧困や格差の問題に強い関心を抱き、その解決に携わりたいと考えるようになりました。そこで、日本の大学を卒業後にイギリスへ留学し、途上国で活躍する実務家養成のための大学院で「開発経済学」を学びました。

そもそも「開発経済学」とはどのような学問なのでしょうか?

中馬教授: 「開発経済学」は、アジアやアフリカ、ラテンアメリカなどにある開発途上国と呼ばれる国々が直面する課題や今後の在り方について研究する、経済学のひとつの領域です。皆さんは学校の授業で「政府開発援助(ODA)」について学んだことでしょう。このODAでプロジェクトを進める際に、資金協力や技術協力をどこにどれくらい行うのかをシミュレーションし、プロジェクトの効果が十分にでるのかを予測するのも、「開発経済学」のひとつの役割です。

その歴史に少しふれると、「開発経済学」がアメリカを中心に、第二次世界大戦後に形成されていった背景には政治的な動きもありました。当時は資本主義を掲げるアメリカを中心とした西側陣営に付くのか、それとも共産主義を掲げるソ連を中心とした東側陣営に付くのか、世界が大きく二分された「東西冷戦」の時代です。そのようななか、アメリカをはじめとする西側陣営が途上国との関係を強化して自分たちの陣営へと取り込むために、途上国支援をいかに進めるかというハウツーが主体の学問として「開発経済学」は形成されていったのです。しかし、“先進国目線”のハウツー的な援助が、本当に途上国のためになるのか。しばらくすると、ラテンアメリカの研究者からそんな批判の声も上がるようになりました。こうして「開発経済学」を巡っては、“先進国目線”で論じる開発経済論と、“途上国目線”で論じる開発経済論が行ったり来たりしながら現在に至ります。

農村での
フィールドワークで得た
“途上国の生活者の目線”。

「開発経済学」のあとに「社会学」を学んでおられますが、どのような経緯から?

中馬教授: イギリスの大学院で「開発経済学」を学ぶなかで、私は少し違和感を抱くようになりました。ここで学んだのは、開発プロジェクトを進める“援助組織の視点”で開発モデルを考える、いわば主流の「開発経済学」でした。例えば、ダムを建設する開発プロジェクトであれば、住民の立ち退きに対する補償額をいくらに設定するのが合理的なのか、これを算出するための計算方法などを学びます。しかし立ち退きにより、それまで世代をまたいで築いてきた地域の人間関係や信頼、育まれてきた助け合いの仕組みなど、金銭で代替できないものが失われてしまうことに対する配慮が欠落している場合が多く、基本的にすべてをお金で割り切ってしまう開発ありきの「開発経済学」に疑問を持つようになったのです。そこであらためて違うアプローチで途上国との向き合い方を探りたいと考えるようになり、帰国後、日本の大学に入り直して「社会学」を専攻し、大学院まで進みました。

「社会学」と出会ってから、中馬教授の途上国との向き合い方に変化はあったのでしょうか?

中馬教授: 大きく変わりましたね。つまり“途上国の生活者目線”で支援や開発を考えるようになったのです。入り直した日本の大学・大学院では、国際社会学が専門の教授のもとで学び、東南アジアの農村部を中心にフィールドワークも経験しました。ベトナムの農村では仲間と「生活時間調査」を行い、私はある一家の母親に密着してその一日を記録しました。夜中の2時、3時に起床すると畑で野菜の収穫作業をし、さらに水洗いして束ねた野菜を担いで明け方の4時には市場へ。こうした現金収入につながる農作業のほか、井戸の水くみや炊事、洗濯など、収入にはつながらない「家事労働」を朝から夜の9時、10時まで、農村の母親はいまでいう“ワンオペ”に近い状態でこなしていたのです。そしてこの経験がのちに、「家事労働」や「介護」「育児」といった現在の主要な研究テーマへとつながっていきました。

「社会経済学」の視点から、
あらためて本当の豊かさを考えていく。

途上国では日常の家事に井戸の水くみも含まれるとは、水道の蛇口をひねれば当たり前のように水が出てくる日本に暮らしていると、すぐには想像できませんね。

中馬教授: 途上国と先進国とでは、やはり「家事労働」の内容が異なります。食事の用意も先進国はスーパーマーケットで購入して、それを調理することになりますが、貨幣経済に依存する率が低い途上国では採取も含めて、一から作る割合がずっと大きくなります。ただ、採れたてのサワガニで作ったスープや、果樹園でもいだばかりの新鮮な果物など、ベトナムのフィールドワークでお世話になったご家族が振舞ってくださった食事はどれも美味しく、三十年近く経っても忘れられない思い出の味です。確かにお金はないけれども、すべての食事をスーパーマーケットでまかなう日本の食卓にはない、ある種の豊かさを実感しました。もちろん、途上国には問題が山積していますから、貧しいけれど幸せといった安易な言葉でその現状を片付けることはできません。本当の豊かさとは何か、これを探るのは一筋縄ではいかないですよね。

「開発経済学」を経て、「社会学」に至る道のりは、中馬教授にとって遠回りでしたか?

中馬教授: 経歴上は遠回りだったかもしれませんが、この経験があってこそ「経済学」と「社会学」の二軸を持つ現在の私の研究が成り立っています。経済モデルに基づいて現状分析やプロジェクト設計をしていく主流の「開発経済学」は途上国開発にとって欠かせない学問領域であり、これを否定するつもりはありません。ただ、自身のスタンスとしては、援助機関や企業中心の開発論とは距離を置きつつ“生活者の視点”で、本当に必要な支援や開発とは何なのか、所得レベルは低くても本当の豊かさとは何なのか、そういったことを中心に探っていきたいと考えています。さらに「家事労働」や「女性の働き方」といったテーマについて、現在は途上国だけではなく、先進国も含めて研究しています。

スマートフォンの先にある、
アフリカ・コンゴの労働者の
姿とは?

日本の学生が途上国のことを考える必要性とは何でしょうか?

中馬教授: 貧困や格差と聞いても、いまひとつピンとこない方が多いかもしれません。そこで皆さんの手元にあるスマートフォンから、途上国を考えてみたいと思います。いまやスマートフォンは、生産に必要な部品・素材の調達に世界の多様な国々が関わる製品の代表格です。そんなスマートフォンのバッテリーに欠かせない素材のひとつが、レアメタルのコバルトであり、2021年のIEA(国際エネルギー機関)のレポートによると、アフリカのコンゴ民主共和国が世界全体のコバルト採掘量の約7割を占めています。他方、紛争状態が数十年続くコンゴ民主共和国では、多くの人々が現在も壮絶な貧困に直面し、コバルトの採掘も、コンゴに暮らす人々の低賃金労働や違法な児童労働などに多くを支えられているのです。私たちが当たり前のように使っているスマートフォンの背後には、こうした途上国の厳しい現実がある――。この現状に思いを巡らすことで、遠いように感じていた途上国の労働者の姿が少し近くなり、自分に関わる問題として新たに見えてくるものがあるのではないでしょうか。

國學院大學経済学部を目指す、高校生へのアドバイスをお願いします。

中馬教授: ここまでお話ししたように、私自身はフィールドに出て、さまざまな人とつながりながら数多くの調査をして現場をみてきましたが、同じように國學院大學の経済学部でも、実地の学びと課題解決型学習(PBL)を重視しています。1年次の「基礎演習」というゼミ式の授業では、実際の企業や団体が抱える課題の解決に、グループで取り組みます。座学で基礎知識と考え方を身に付けたうえで、それをPBL型の授業で実践する。もし、自分なりに知識が足りないな……と感じる部分があれば、それぞれに必要な授業を組み合わせることでバランスよく学ぶことができます。こうして本学の経済学部で学ぶなかで、たくさんの経験とスキルを積み、4年間を通じて皆さんの可能性をさらに切り拓いて欲しいと思います。

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