伝承文化から
“いろいろな日本”を知る。
民俗学の知られざる世界

河童に天狗、座敷わらしなど、
不思議の国の住人が勝手気ままにふるまう「昔話」や「伝説」に、
皆さんも心躍らせてきたことでしょう。
さらに盆・正月をはじめとする「年中行事」、
「人生儀礼」の七五三、地域の「祭り」は、
折々に経験してきたことではないでしょうか。
これらはすべて「民俗学」の研究対象です。
いずれも“繰り返し行われながら人びとに共有化される”なかで、
“文化の型(かた)”を獲得してきました。
そしてこの型から、日本文化を探るのが「民俗学」という学問です。
日本文学科 服部教授のガイドのもと、いざ「民俗学」の世界へ。

PROFILE

國學院大學 文学部 日本文学科 教授

服部 比呂美

静岡県沼津市生まれ。國學院大學大学院博士課程後期課程修了。博士(民俗学)。東京国立文化財研究所客員研究員、白根記念渋谷区郷土博物館・文学館学芸員等を経て現職。専門は「日本の子どもの民俗行事」と「食文化」。単著に『子ども集団と民俗社会』(岩田書院)、共編著に『日本の知恵をつたえる』(玉川大学出版部)、『伝承文学を学ぶ』(清文堂出版)ほか。

静岡県沼津市生まれ。國學院大學大学院博士課程後期課程修了。博士(民俗学)。東京国立文化財研究所客員研究員、白根記念渋谷区郷土博物館・文学館学芸員等を経て現職。専門は「日本の子どもの民俗行事」と「食文化」。単著に『子ども集団と民俗社会』(岩田書院)、共編著に『日本の知恵をつたえる』(玉川大学出版部)、『伝承文学を学ぶ』(清文堂出版)ほか。

むかしむかしあるところに……。
『かちかち山』から探る
“日本文化の地域差”とは?

日本文学科では、1年次の必修授業「伝承文学概説」ですべての学生が「口承文芸(昔話・伝説)」を学びます。どのようなことを学ぶのか教えてください。

服部教授: 皆さんも幼い頃に、たくさんの昔話に触れてきたことと思います。その一つ『かちかち山』を「民俗学」の視点からひも解いてみましょう。この昔話は、お爺さんが畑仕事の邪魔をするタヌキを捕まえたものの、お婆さんがタヌキに殴り殺され、そのタヌキはウサギに成敗されるというのが一般的に知られているストーリーです。しかし、かつては日本各地で、いろいろなパターンの『かちかち山』が語り継がれていました。特にタヌキがいたずらをする冒頭の場面には、さまざまなバリエーションがあります。山形県東根市に伝わる『かちかち山』では、お爺さんが「一つ粒まいたら千なれ、二つ粒まいたら二千なれ、爺様な豆ァなれ」と、豊作を願う言葉を掛けながら豆をまきます。ところがそこへ現れたタヌキは、「一つ粒まいたら腐れろ、二つ粒まいたらはんずけろ」と、すべて枯れてしまえというような言葉を投げつけます。一方で、山口県周防大島町の『かちかち山』では、「一鍬打チャフントコショ 二鍬打チャフントコショ 三鍬ブリニャ ハネコケタ」と、お爺さんをからかうようなタヌキの言葉が伝わっているのです。

なぜ、こうした地域ごとの違いが生まれるのでしょうか?

服部教授: その理由としては、語り手の“民俗体験”が反映されているからだと考えられます。山形県東根市の『かちかち山』の背景には、「口に出した言葉がその通りになる」という“言霊信仰”があります。昔の農業はまさに神頼みのようなものでしたから、タヌキの言葉は最も忌むべきもので、これにお爺さんが怒ったことに、山形県の農村部に暮らす語り手や聞き手はともに深く共感したことでしょう。『かちかち山』のように、日本各地で語り継がれてきた昔話を集めて比較してみると、“日本文化の地域差”を捉えることができます。こうして、何気ない日常のなかに潜んでいる地域個性を発見できること。これが「民俗学」の面白さだと、私は常々感じています。

「民俗学」×『源氏物語』で
年中行事「流し雛」の
歴史を辿ってみると……。

鳥取県鳥取市用瀬(もちがせ)の「流し雛」。地区を流れる千代川(せんだいがわ)の水辺で行われている。

いま巷では『源氏物語』がブームとなっています。たとえば「民俗学」から、『源氏物語』へはどのようなアプローチができるのでしょうか?

服部教授: それについては、年中行事の一つ、雛祭りに絡めてご紹介しましょう。「民俗学」では“文化の地域差”とともに“文化の歴史”を探ることも大事な視点です。雛祭りは全国的に3月3日に行われていますが、鳥取県鳥取市用瀬(もちがせ)では旧暦の3月3日に、今も「流し雛」が行われています。用瀬の「流し雛」では、男女一対の紙雛を藁で丸く編んだ桟俵(さんだわら)にのせ、桃の小枝や椿の花、菜の花も添えて川に流します。また、長野県北相木村では、「カナンバレ」と称される同様の行事が行われています。

「流し雛」の歴史を辿ってみると、自身に降りかかる災厄を紙雛=人形(ひとがた)に託して川や海に流し、けがれを清めて無病息災を祈る行事から生まれたようです。では、「流し雛」がいつ頃から行われるようになったのか? 記録された文献がないので断言はできませんが、『源氏物語』には次のような記述があります。須磨に下った光源氏が海辺で「陰陽師召して、祓せさせたまふ。舟にことごとしき人形をのせて流すを見たまふ……」、つまり「陰陽師に祓いをさせて、人形を舟に乗せ、海へ流した」と。ここから、「流し雛」の原型は『源氏物語』が書かれた平安時代にまで遡ることができます。しかし「文献に書かれた記録が最も古い」という“思い込み”には気を付けたいところです。年中行事のように人から人へと伝承されてきた文化は、文献の記録よりも古い姿を残している場合があり、これが「民俗学」の難しさでもあるのです。

ようこそ!“國學院の民俗学”へ。
年中行事や昔話など、
テーマは身近な生活のなかに。

千葉県茂原市の「七夕馬」。市で売られる商品となったことから、華美な造形へと進化した

國學院大學では、文学部日本文学科伝承文学専攻で「民俗学」を学ぶことができます。伝統ある専攻と聞きますが、その歴史について教えてください。

服部教授: 柳田國男(1875~1962)という民俗学者をご存じでしょうか? 岩手県遠野地方の伝承を紹介した『遠野物語』という著書が有名です。民俗学は、この柳田によって近代に学問として体系化されました。また、柳田から多大な影響を受けたのが、國學院大學の教授で、国文学者・民俗学者の折口信夫(1887~1953)です。折口は、同時代の文献だけでは解釈できない万葉集の言葉について、「生活の古典」すなわち「民間伝承」から考えようとしました。そして、「国文学」に「民俗学」の研究手法を取り入れた折口によって、國學院大學に「民俗学」の講座が新設され、のちに日本文学科に伝承文学専攻が誕生しました。日本文学科に開講されていることから伝承文学専攻と銘打っていますが、学びの内容は「伝承」=「民俗学」であるといえるでしょう。

「民俗学」を学ぶうえでのポイントは何でしょうか?

服部教授: 身近な生活のなかから研究テーマを見つけ出せることです。先ほどの昔話もそうですし、雛祭りや七夕行事も研究対象になります。たとえば皆さんが七夕と聞いてすぐにイメージするのは、願い事を書いた短冊を吊るす「竹飾り」ではないでしょうか。しかし全国的にみると、七夕の習俗は「竹飾り」だけとは限りません。北関東から東北地方にかけての農村部では、七夕に藁や茅で「七夕馬」を作る風習があります。なかでも千葉県茂原市では、この「七夕馬」に小麦饅頭を供えることから、七夕が「小麦の収穫祭」を意味していたと考えられます。また、長野県松本市では、かつては七夕に子どもの災厄を祓う「七夕人形」を家々で飾りました。青森県を代表する豪華絢爛な「ねぶた」や「ねぷた」などの祭りも、七夕行事です。このように、さまざまな七夕の習俗がありますが、短冊に願い事を書くことは、江戸時代に都市部の寺子屋で、子どもたちが「いろはがな」や「和歌」など、手習いの成果を短冊に書いて下げることに始まったようです。短冊に書く内容が願い事になるのは、それ以降のようですが、具体的にはいつ頃からそのように変化したのか……。ぜひ、皆さん自身で調べてみてください。

足元の文化から、始めよう。
そしてフィールドに出て、
“いろいろな日本”を体感しよう。

服部教授が「民俗学」研究の道に進んだきっかけを教えてください。

服部教授: 私の「民俗学」研究の入口は「道祖神」でした。道辻や三叉路で目にすることの多い、お地蔵さんに似た石像です。初めて「道祖神」を意識したのは、観光で訪れた長野県安曇野市でのこと。平安貴族風の衣装に身を包み、カラフルに彩色された男神と女神の「双体道祖神」の石像を見た時でした。私の出身地である静岡県沼津市では「道祖神」といえば単体の石像が一般的で、お地蔵さんと区別がつかないほど地味なものだったので衝撃を受けました。その後、隣接地域でも「道祖神」を見てまわった結果、旧伊豆国と駿河国では「道祖神」の像容が違っていることが分かりました。こうした「道祖神」は、歴史に名前の残らなかった多くの人びとによって造立されたものです。これらを見ているうちに、人びとは人生の悲しみや死への恐怖、そして希望をどんなものに託したのだろう……。そんな疑問が生まれ、民間信仰を研究する学問「民俗学」を志すようになりました。

最後に、高校生へのメッセージをお願いします。

服部教授: 高校生の皆さんは、ぜひ地元の文化に着目してほしいと思います。正月にお雑煮を食べ、盆には墓参りに行く……。当たり前のようにしてきたことは、実は“当たり前ではない”ことに気づいてほしいのです。高校野球に顕著なように、地域を代表する若者は皆さん“高校生”です。足元の文化を見直し、高校生が各地の祭りや芸能を認識し、継承者になってくれることで、地域社会はもっと元気になります。國學院大學では、高校生を対象に《地域の伝承文化に学ぶコンテスト》を毎年開催しています。「民俗学」を実践するきっかけとして、このコンテストに参加していただければと思います。そして、國學院大學で「民俗学」を学び、日本各地でのフィールドワークを通じて異なる文化に出会い、“いろんな日本がある”ことを実感してください。さらに「民俗学」を究めたいという方は、国内で唯一「民俗学」の修士号・博士号の学位が取得できる國學院大學大学院に来てくださることを願っています。

フィールドで“いろいろな日本”を探る

各地の農村や漁村の集落を訪ね、さまざまな人びとに会い、話を聞くフィールドワークは「民俗学」を研究するうえで欠かせません。服部教授のフィールドワークの様子を写真でご紹介します。
フィールドワーク先:静岡県賀茂郡河津町

学生とともに見高地区の墓地へ。墓地には地域の歴史や暮らしを知るための手掛かりがあります。

地区の方の案内で「犬地蔵」を見学しながら、具体的な信仰のあり方についてお話を伺いました。

端午節供のカシワモチは、「サルトリイバラ」の葉で包むとのこと。葉の採集時期や作り方などの聞き取り調査を行いました。

河津町役場の調理室では、町民の方に講師をお願いして、郷土料理の調理実習を行いました。

話者のお宅で、祭りの際に供される「黄飯(きめし)」のおにぎりをご馳走になりました。

河童の寺とも呼ばれる河津町谷津の栖足寺。河童から譲り受けたという大壷の由来をご住職から伺いました。

受験生の皆さんにオススメの本

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