國學院大學が渋谷にキャンパスを構えてから
2023年でちょうど100年を迎えます。
そしていま渋谷駅周辺でも、
“100年に一度”といわれる再開発が進んでいます。
共同研究プロジェクト「渋谷学」は、
本学とゆかりある渋谷を“科学する”画期的な試みです。
「渋谷学」の授業を担当する手塚雄太准教授とともに、
少しディープな視点から、渋谷を探ってみましょう。
國學院大學 文学部 史学科 准教授
手塚 雄太
1984年千葉県生まれ。國學院大學大学院文学研究科史学専攻博士課程後期修了。博士(歴史学)。鎌ケ谷市郷土資料館学芸員を経て現職。専門は日本近現代史、日本近代・現代の政治史、及び地域史。単著に『近現代日本における政党支持基盤の形成と変容―「憲政常道」から「五十五年体制」へ―』(ミネルヴァ書房)、共著に『渋谷学叢書2:歴史のなかの渋谷―渋谷から江戸・東京へ』(雄山閣)など多数。
1984年千葉県生まれ。國學院大學大学院文学研究科史学専攻博士課程後期修了。博士(歴史学)。鎌ケ谷市郷土資料館学芸員を経て現職。専門は日本近現代史、日本近代・現代の政治史、及び地域史。単著に『近現代日本における政党支持基盤の形成と変容―「憲政常道」から「五十五年体制」へ―』(ミネルヴァ書房)、共著に『渋谷学叢書2:歴史のなかの渋谷―渋谷から江戸・東京へ』(雄山閣)など多数。
スクランブル交差点は、いまや渋谷の代名詞ともいえる場所ですね。この記事を読む高校生の皆さんも、渋谷といえばスクランブル交差点をまず思い浮かべる方が多いかと思います。
手塚准教授: 渋谷駅前にスクランブル交差点ができたのは、『朝日新聞』の記事によると1973年のことです。渋谷駅周辺に商業施設が増えた1970年代あたりから、若者を中心にたくさんの人々が渋谷にやってくるようになりました。そこで歩行者が駅前と街中を安全かつ自由に横断できるよう、スクランブル交差点ができたようです。でも、いまはスクランブル交差点そのものが、人々が集う目的地になっていますよね。いつからそうなったのか。これを考えるのに、渋谷を「民俗学」の視点から探った、渋谷学の共同研究プロジェクトの一人の先生の調査が重要なヒントを与えてくれます。この先生はいまから20年ほど前に、地方在住の高校生・大学生を中心に「渋谷と聞いたら何を思い浮かべますか」という聞き取り調査を実施しました。さて、上位に挙がったのは何だと思いますか?
ハチ公でしょうか?
手塚准教授: ハチ公は悪い線ではないですね。20年前の調査で上位に並んだのはファッションビルのSHIBUYA 109、ハチ公、そしてセンター街で、スクランブル交差点を挙げた人はそれほど多くないのです。1990年代後半から2000年代初頭にかけて、「コギャル」や「ヤマンバ」と呼ばれる若い女性たちが109やセンター街に集まり世間をにぎわせていたことを考えると、当時は109やセンター街こそ渋谷を象徴する場所だったのかもしれません。他方、スクランブル交差点は、確かに人が集まる場所ではあったものの、20年前はそれだけで面白い、特別な場所とはさほど認知されていませんでした。では、何がそうなるきっかけだったのか。
その答えの一つとなるのが、サッカーのワールドカップです。始まりとされる2002年の日韓大会では、日本代表の活躍に沸く大勢のサポーターが渋谷駅前に押し寄せ、ハイタッチをしながらスクランブル交差点を渡る光景が報道されました。それから4年後のドイツ大会は日本代表の成績が振るわなかったこともあり、さほど盛り上がらなかったようですが、2010年の南アフリカ大会以降は再び人々が集まるようになり、いまではワールドカップやハロウィン、あるいは年越しとなると警視庁がスクランブル交差点で歩行者の通行制限を行い、「DJポリス」まで出るようになっています。
かつては路面電車も走っていた渋谷駅前 〔出典:『東京府渋谷町職員記念寫眞帖』渋谷町、昭和7(1932)年〕
スクランブル交差点は国内だけでなく、海外からの旅行者にも人気の観光スポットと聞きます。
手塚准教授: 2003年のアメリカ映画『ロスト・イン・トランスレーション』を皮切りに、海外の人気映画の舞台としてスクランブル交差点が登場するようになりました。スクランブル交差点はロケ地としても人気ですが、さすがに撮影許可を取るのは大変なことから、リアルスケールで再現した撮影用のオープンセットが栃木県にあるほどです。また、SNSをはじめとする各種メディアでも広く発信されるなかで、海外の人がより強くスクランブル交差点を意識するようになったとも考えられます。こうしていまや“東京の顔”となったスクランブル交差点ですが、なぜ人々が集うようになったのか。この疑問について、これまた「民俗学」の視点からの考察があります。ワールドカップや年越しのカウントダウンなどのイベントのたびに人々がスクランブル交差点に集まる現象が、「一度限りで終わるものではなく、人から人へと伝承されていく文化になっている」からではないかと。さて皆さんは、どのように考えますか。
ここまでのお話で、たった20年ほどでスクランブル交差点が一つの場所として確立した過程があったことが分かってきました。そもそも近代以降の渋谷は、どのような歩みを辿ってきたまちなのでしょうか?
手塚准教授: 渋谷の近現代史をひも解くと、このまちが多面的な顔を持っていたことが分かってきます。町場の道玄坂や宮益坂をのぞいては、のどかな田園風景が広がっていた渋谷は、明治後半の日露戦争後あたりから駅周辺の宅地化が進んで人口が増え、ターミナル駅にもなったことで、住みやすいまちとして発展していきました。1945年の空襲で渋谷はまちの8割近くが焼失しましたが、戦後の復興期を経て1958年には、首都圏整備法に基づく「首都圏整備計画」により渋谷は新宿、池袋とともに副都心に位置づけられ、さらに1964年の東京オリンピックを機にインフラ整備が進みました。戦前には軍関連施設、戦後には米軍住宅地があった場所に代々木公園やNHK放送センターができたのもこの頃です。1970年代に入ると、駅周辺に若者向けの商業施設が立ち並ぶようになり、いまに至ります。そして現在、渋谷駅周辺では再開発が進んでいますが、当初は実現不可能ではないかともいわれていたのです。
渋谷の再開発が不可能と考えられていたのは、どのような事情から?
手塚准教授: 渋谷の再開発については、渋谷学の共同研究プロジェクトに参加する「経済学」の先生の研究から探ってみましょう。まず、谷底にある渋谷駅には、JR、東急、京王、東京メトロ各社の路線が走り、それぞれの駅施設が地上と地下とで複雑に絡みあっていることに加えて、土地の権利関係も大変ややこしいものになっていました。また、再開発工事を進めるにあたってはそれなりに広さのある空き地も必要になりますが、これをどう確保するのか。当然ながら必要となる莫大な資金をどう調達するのか。これら数々の難関が立ちはだかっていたのです。
一方で、渋谷の経済的な地盤沈下を危ぶむ声も上がっていました。1990年代末から2000年にかけて、渋谷にはIT系ベンチャー企業が集まり、地名の「渋い(Bitter)」と「谷(Valley)」をかけて「ビットバレー(Bit Valley)」と呼ばれるようになっていました。しかし、当時はこれら企業が入るためのオフィスビルが渋谷周辺に十分になかったために多くの企業が六本木へと移転してしまい、のちに六本木を拠点とする「ヒルズ族」として一時代を築いたわけです。このままでは渋谷は衰退の一途を辿るばかり……。そこへ救いの手が差し伸べられます。バブル崩壊後、日本の景気低迷が続くなかで、都市開発に資金を投入することで日本全体の景気改善につなげていく国の政策ができたのです。こうして2005年に渋谷駅周辺が「都市再生緊急整備地域」に指定されたことで、官民連携で市街地整備ができる環境が整い、さらに技術や土地に関しても難関をクリアし、再開発がようやく実現しました。再開発により超高層のオフィスビルが次々と建ち、渋谷はビットバレーとして再び盛り上がるのか。皆さんには本学の渋谷キャンパスに通うなかで、この行方をぜひ見守ってほしいものです。
「渋谷学」について、あらためて概要を教えてください。
手塚准教授: 國學院大學で2002年に始まった「渋谷学」は、“渋谷を科学する”をキャッチフレーズに「歴史学」「民俗学」「宗教学」「経済学」といった領域を越えて渋谷を多角的に考えていく共同研究プロジェクトです。授業でも全学部の学生が受講できる共通教育プログラムで「渋谷学」を開講し、多彩な教授陣がリレー方式で講義するなかで最新の研究成果を紹介しています。渋谷を通じて多様な学問にふれながら、学問領域は違えども重なるところもあり、幅広い領域をリンクさせながら自分なりの渋谷を探っていける授業です。さまざまな顔、さまざまな歴史を持つ渋谷を学ぶなかで、日本の近代とは何か、現代の日本とは何か、そんなことを考えるきっかけになればと思います。その際、「歴史」の視点から渋谷を深く考えたいという方は、もちろん史学科に大歓迎です!
手塚准教授は「渋谷学」の授業のほか、文学部史学科で歴史学の専門授業を多数担当しておられます。最後に、史学科を目指す高校生に向けて、メッセージをお願いします。
手塚准教授: 三度の飯より歴史が好き、絶対に史学科に行きたい……、そう思っているあなたの周りに、自分と同じように思っている友人や同級生はたくさんいますか。もしかしたら、そんな思いで史学科を目指しているあなたは、いまは少数派かもしれません。それが國學院大學に来た途端、歴史学の研究を究めたいという仲間たちが多くを占め、歴史学を力いっぱい学ぶことが常に肯定される、こうした環境に身をおくことができます。ただ、大学で学ぶ以上は、好きという思いだけで止まっていては“研究”にはなりません。“好き”を原動力にして学問的に意義ある研究に挑戦し、それを広く社会に理解してもらえるよう論理的な言葉で説明できるようになってほしいと思います。もちろん、歴史学の猛者だけが集う学科ではないので安心してください(笑)。歴史や社会科が好き、というくらいでも大丈夫ですよ!
渋谷学のこれまでの研究成果をまとめた『渋谷学叢書』(現在5巻まで刊行、雄山閣)では、「渋谷をくらす」「歴史のなかの渋谷」「渋谷の神々」など幅広いテーマで渋谷学の世界をさらに深く知ることができます。興味のある方は、図書館や書店でぜひ手に取ってみてください。