私たちを未知なる世界へと誘ってくれる文学も、
作者の歩んだ人生、独特な志向、
書かれた当時の背景などを知ると、
より作品や登場人物に興味がわいてくるはずです。
ここでは、副学長であり文学部教授の石川先生に
文学の知られざる世界のこと、
文学を研究する面白さなどについて
語っていただきました。
國學院大學 副学長(文学部教授)
石川則夫
國學院大學大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。國學院大學短期大学兼任講師を経て現職。主に日本近現代文学の研究を続けており、文学先品の言葉の可能性・言語の在り方を追求している。
國學院大學大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。國學院大學短期大学兼任講師を経て現職。主に日本近現代文学の研究を続けており、文学先品の言葉の可能性・言語の在り方を追求している。
1916(大正5)年に49歳でこの世を去った夏目漱石ですが、実は6年前の1910(明治43)年に一度亡くなったというのです。
『吾輩は猫である』の冒頭にもあるように、もともと夏目漱石は胃弱で慢性の胃潰瘍を患っていました。そのため、伊豆の修善寺温泉にある菊屋旅館で転地療養していましたが、なかなか良くならず、ついに吐血します。その様子を漱石は随筆でこのように書いています。
「枕元の人がざわざわする様子を、ほとんど余所事のように見ていた、余は。(中略)すると床の上に吊るした電気灯がぐらぐらと動いた。硝子の中に彎曲した一本の光が、線香花火のようにきらめいた。余は生まれてからこの時ほど強く恐ろしく光力を感じたことはなかった。その刹那にすら、稲妻を瞳に焼き付けるとはこれだと思った。時に突然、電気灯が消えて気が遠くなった…(後略)」とあります。
翌日、意識が戻った漱石は、妻から「あなたは30分死んでいました」と言われたそうです。実は、漱石の脈は途絶えて心肺停止状態となりますが、医師たちの懸命な措置もあって何とか一命を取り留めたのです。
さて、九死に一生を得た夏目漱石は、体調が回復してから『彼岸過迄』『行人』といった作品を書きましたが、中でも興味深いのが『こころ』です。臨死体験以前の作品では青年や若者を描いた小説が多く、「死」という影が漂うイメージはありませんでした。ところが『こころ』では、Kの唐突な自殺、先生の自殺願望、そして、私の父親の死にゆく姿。つまり、この小説は人間の死という避けようのない事実を多方向から見つめようとした作品といえます。これは、自らの死を考え続けた人間だからこそ書き得たのだと思うのです。夏目漱石はヨーロッパで近代的、啓蒙的、思想的文学といった知識を鍛え上げてきましたが、自分自身が死ぬ瞬間にはすべて無になってしまった。これまで一所懸命に自分が蓄えて鍛えてきた事柄は一体何だったのかと、ある意味では人間が存在する儚さを自覚したのではないでしょうか。
近現代の文学は、基本的に日常生活のいわゆるスポットライトを浴びないところで、人間のゾワゾワした感情を吐き出すことが描かれていますので、暗い話がほとんどです。
話題になった人間と鬼との関係を題材にしたアニメ作品においても、悲しみや憤り、やるせない気持ちといった心理的な負の側面を引き出し、整えて提案してくれるという文学的な表現が使われていますが、自分と同じ心情や経験をもつ登場人物にシンクロすることで、自分のあり方を再発見するという仕組みで成り立っています。ある登場人物に感情移入することで、「私に呼びかけている小説だ」「自分のことが書かれている」といったシンパシーを感じ、他者と共有しにくい捉え方ができるのです。つまり「文学を読む」ということは、周囲と協調するのではなく、自分一人でいられる人間にさせてくれるということ。そして、その延長線上には、自分の言葉を発見することや自分の頭で考えて判断する力につながります。
企業の人事担当者に「どのような学生を採用したいか」と聞くと、二つの共通点があります。一つが、人とコミュニケーションできること。語学力ではなく、全く知らない人と会ってもすぐに会話できる力です。もう一つが、自らの仕事について内部の視点ではなく第三者の立場として客観的に見る力。これはまさに文学を読み学生同士で議論することで身につきます。この登場人物はどんなキャラクターでどのような立場なのか、自分自身の解釈を客観的に述べるなど、視点を固定させない見方をするからです。
人間は、さまざまなストーリーを指標にして自分自身の生き方やポジションを見つけようとします。今では、商品開発や宣伝部といったあらゆる職種において顧客や消費者が参加しやすいストーリーを提供する機会が増えています。このように文系的な頭の使い方は、どんな場面においても人間が生きている限り必要とされているのです。
『夜明け前』
(新潮文庫)
島崎藤村
政治社会制度が大きく変わる明治維新前後の時代に生きたごく普通の人たちがどのように対応していたか。歴史が動く時に起こる人間の姿を読み解いてみましょう。
『箱男』
(新潮文庫)
安部公房
衣食住における「住」を段ボール箱の中に定め、一人だけの空間から外の世界を伺う「箱男」の視線の異常さは、現代社会の常識的思考を批判する視点を持たせてくれます。
『神様のボート』
(新潮文庫)
江國香織
児童文学の世界と異なり、この小説は、恋愛と家族、親子のあり方について母親の視点、娘の視点が交互に動くことで子供の世界と大人の世界を同時に見せてくれます。
『風の歌を聴け』
(講談社文庫)
村上春樹
青春という不安定な時期を、確かに不安定なものとして描き、若さという特権的な生命観や生きようとする力を読ませてくれる作品です。
『キッチン』
(新潮文庫)
吉本ばなな
おそらく、近現代の日本文学で「食」をテーマにした初めての小説。人間にとって「食べること」がどのような意味を持つのか考えさせる作品です。
『氷点』
(角川文庫)
三浦綾子
人間のドラマとしてはドロドロとした醜悪な面を見せますが、その背景にある自然が北海道だけに、東京を中心としていた近現代文学にはないイメージを示してくれます。