日本文学史に燦然と輝く金字塔『源氏物語』。
平安時代中期に成立し、
1000年以上の歴史をもつこの物語は、
海外でも30以上の言語に訳されるなど、
日本のみならず世界中の読者を魅了してきました。
一方で、今なお多くの「謎」に包まれているといいます。
日本文学科の竹内教授とともに、
果てしない物語の迷宮を、少しのぞいてみましょう。
國學院大學 文学部日本文学科教授
竹内 正彦
國學院大學大学院博士課程後期単位取得後退学、博士(文学)。群馬県立女子大学文学部講師・准教授、フェリス女学院大学文学部教授等を経て、現職。専門は『源氏物語』を中心とした平安朝文学。
國學院大學大学院博士課程後期単位取得後退学、博士(文学)。群馬県立女子大学文学部講師・准教授、フェリス女学院大学文学部教授等を経て、現職。専門は『源氏物語』を中心とした平安朝文学。
『源氏物語』の作者とされる紫式部の名は、古典に興味が無い方でもご存じかと思います。実は、平安時代を生きたこの女性の実像は、いまだ明らかにされていません。そもそも私たちが慣れ親しんでいる「紫式部」も通称(呼び名)に過ぎず、本名ではないのです。世界に名だたる物語の作者でありながら、なぜその本名すら分からないのか。それは名前に対する当時の価値観も関係しています。
平安時代の人びとは、名前に対する鋭敏な感覚を持っており、自分の名前を人に知られることは、その人の支配下・影響下に置かれることと同義と捉えられていました。例えば、上代の『万葉集』の最初の歌「籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち」で始まる長歌は、「あなたの“名前”を教えてください」と男性が女性に詠みかけるものですが、ここで女性が名前を教えると結婚を承諾したことになります。平安時代にもその伝統が受け継がれますので、とくに女性の本名は身内以外には隠されていたのです。
紫式部の本来の呼び名は、藤原氏の「藤」と、父の官職名である「式部」を組み合わせた「藤(とう)式部」だったようです。現代風にいうと「藤原氏の式部の娘さん」というニュアンスでしょうか。それが『源氏物語』第五帖に「若紫」という巻があり、この「若紫」との関連で「紫式部」と呼ばれるようになったといわれています。
ここで重要なポイントは、平安時代の文学作品の場合、作者自身による原文が残っていないということです。『源氏物語』も、紫式部による自筆本は残っていません。それなのになぜ、この作者は紫式部とされてきたのでしょうか。
『紫式部日記』という紫式部の日記があり、これを読むと、『源氏物語』に関連する記述が5ケ所ほどみられます。先ほどの「若紫」ということばもこの日記でふれられていることから、「若紫」の巻に関しては紫式部が関与していた可能性が高いと考えられているのです。さらに「若紫」の記述が1008年11月1日の記事に確認できることから、この頃には既に人々の間で『源氏物語』が読まれていたと考えられています。翻って『源氏物語』全体については、現存する五十四帖の各巻がいつ書かれ、物語はいつ完結したのか、それらは謎のベールに包まれたままなのです。
しかしながら『源氏物語』は、以降も写本として広く読み継がれていきました。ただ、印刷が用いられなかった時代ですから、『源氏物語』がさまざまな人々によって書き写される過程で、物語の表現にはたくさんのアレンジが加えられていったようです。すべて手作業なので、うっかり一行書き飛ばしてしまった…というのならまだしも、こうしたらもっと面白くなるはずと、積極的に物語を改編してしまった部分もあるのではないかと思われます。こうして200年ほど経つと、多種多様なバージョンの『源氏物語』が数多く出回るようになっていました。
この写本を巡る惨状を見兼ねたのが、当代随一の文人であり、「小倉百人一首」でもおなじみの歌人・藤原定家でした。「私の時代で『源氏物語』をきちんとしたものに整えておかないと、この物語の真の価値が失われてしまう」。恐らくそのような焦りから、定家監修のもと『源氏物語』本来の姿に近づけるかたちで「青表紙本(定家本)」と呼ばれる写本が鎌倉時代に成立しました。そしてこれが、現代まで読み継がれている『源氏物語』の写本のもとの一つとなっています。「定家本」そのものも多くは失われてしまいましたが、2019年には定家監修による「若紫」の写本が新たに見つかり、ニュースになりました。これほどの時を越えてもなお『源氏物語』を巡る新発見があるとは、壮大なロマンを感じずにはいられません。
さて、『源氏物語』の現存する五十四帖すべては、紫式部がひとりで書いたものなのでしょうか。それに関しても、いまだ多くの疑問が残っています。「古くから伝承されていた物語を、紫式部が書き直して『源氏物語』ができたのではないか」。そう考えるのは、國學院大學の国文学研究を領導した折口信夫先生です。さらに折口先生は、その後もさまざまに書き継がれていったものが現存する『源氏物語』であり、特に「宇治十帖」は隠者文学といってよいとも考察しています。
ここまで語ってきた通り、『源氏物語』は今もなお多くの謎を秘めています。その一方で、時を経て明らかとなった事実もあります。それは現代の私たちもこの物語を読んでいるということ。つまり『源氏物語』は、1000年以上にもわたって人々を魅了し、読み継がれてきたということです。
この「読み継ぐ」は「読み深め、読みあらためていく」と捉えた方がよいかもしれません。江戸時代の国学者である本居宣長は、『源氏物語』の本質を「もののあはれ」と評しました。『源氏物語』は、人の心の複雑なありようや過酷な愛のかたちを描きながら、一つの小宇宙ともいえる物語世界を創り出しています。宣長は『源氏物語』を読み深め、その世界を「もののあはれ」ということばで捉えました。それは物語世界の新たな発見ともいえます。『源氏物語』を読み深めることは人の心の奥深くを理解することであり、さらにはまだ知らぬ自分の心のありようを知ることにも、つながっていくことでしょう。
最後に、私自身の「古典」との出会いをご紹介しましょう。高校時代に古典の授業で、『新古今和歌集』の一首の和歌について調べる機会がありました。それまで古典の勉強は、先生が示した現代語訳を覚えて、助動詞を暗記してと…、まるで暗記をすればよい科目のように考えていたわけですが、いざ調べてみると、一つの歌を巡ってもいろいろな解釈があると分かったのです。成立から数百年も研究されていて解釈の揺れなどないはずだ。だから暗記すればよいのだろう。そう思い込んでいた私にとって、「古典にも分からないことがある」と知った経験は、とても衝撃的なものでした。古典文学を徹底的に勉強してみたいと思った私は、國學院大學に入学し、そこで『源氏物語』に取り組むようになりました。
『源氏物語』も、1000年以上経っている文学だからすべてが解き明かされているかというと、そうではありません。紫式部の本名すら、私たちは分かっていないわけですから。まずは皆さんにも、『源氏物語』をはじめとする古典文学を読み深める悦びや、自らの内面をみつめる時間を、國學院大學での4年間を通じて経験してほしいと思います。