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ショコラティエの歴史を知ろう

ショコラティエの歴史を知ろう

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13世紀に栄えたメキシコ中部のアステカで生まれたカカオ飲料。当時カカオは儀礼の際に神々に捧げられる希少なもので、ヨーロッパにわたった後は、王族・貴族・上流階級だけが食せる貴重な食材として珍重される一方、栄養価の高い"薬"という側面ももっていました。ここでは、チョコレート作りに欠かせないカカオの歴史をひもといていきましょう。

王侯民族に愛され、神々に捧げられたチョコレート

紀元前600年頃に南米で始まったカカオの栽培
紀元前600年頃に南米で始まったカカオの栽培

チョコレートの歴史はとても古く、古代ローマ帝国が栄えた紀元前600年頃に南米でカカオの栽培が始まったとされています。
13世紀から14世紀にメキシコ中部で栄えた国家アステカでは、焼いたカカオを挽き、さまざまなスパイスを配合した飲料として発展した、と古い文献に残っています。
当時、その飲み物は王族・貴族・上流階級だけが飲める珍しいものでしたし、その希少性は金より高く、カカオ豆数十粒が家畜交換時の貨幣がわりになったことや、誕生日や成人、結婚、葬式などの儀礼の際に神々に捧げられていたという記述も史料に残されています。その当時の人々にとって、カカオには神秘的な力が秘められていると信じられていたのです。
また、最高品種のカカオの生産地は、エクアドル、ベネズエラなどの中南米に集中していますが、16世紀初頭にスペイン人によるアステカ侵略を契機に、カカオはヨーロッパへと渡ります。しかし、この当時もまだカカオはチョコレートとして加工されず、栄養価の高い"薬"という役割が強かったとされています。その後、ヨーロッパ人の味覚に合うよう砂糖や蜂蜜、シナモンがカカオ入り飲料に調合され、王族、貴族、上流階級、貿易商人などの特権階級に愛される嗜好品として発展していくことになります。

マリーアントワネットとも縁が深いチョコレート

ヨーロッパへ渡ったカカオは、歴史上のさまざまなシーンに登場します。18世紀になると、お湯や牛乳に溶かしたほろ苦さと甘みがとけあったチョコレート飲料が開発され、特にフランス王室で好んで飲まれるようになりました。ある史料には、宮殿に訪れた高貴なお客様へのおもてなしは、お茶ではなくすべてチョコレート飲料にしなさいと命令が下されたという記述も残されています。
また18世紀のフランス王室といえば、ルイ16世の王妃マリー・アントワネットの存在が思い浮かびます。ある日、王妃が病に伏せっていたところ、王室専属薬剤師のドゥボーヴが王妃の枕元に呼ばれます。ドゥボーヴは王妃の病状を診察し、ただちに薬を配合して飲ませようとします。しかし、ベッドに横たわった王妃はこう言います。「この薬、苦くてのめないわ」。
そこでドゥボーヴは一計を案じます。それは薬をチョコレートで包んで王妃に服用してもらう方法でした。そのアイデアが功を奏し、王妃は回復。一躍ドゥボーヴの評価は高まります。この王室薬剤師であったスルピス・ドゥボーヴは、のちのチョコレート専門店「ドゥボーヴ・エ・ガレ」を開業した人物でもありました。
現在もなお「ドゥボーヴ・エ・ガレ」はパリで一番古いショコラトリーとして、店舗を構えています。マリーアントワネットとドゥボーヴを偲(しの)んで作られた“ピストル”というチョコレートは、500円玉よりひとまわり大きいコイン型の6種類のフレーバーを楽しめるチョコレート。日本でも一部の百貨店などで買うことができます。
このように、チョコレートの食文化が根づいているフランス、スペイン、オーストリアでは、ショコラティエが古くから高貴な職業とされていました。カカオの歴史をひもといていくと、世界的に見ても、男性ショコラティエの割合が圧倒的に多い点に納得がいきますね。

取材協力・監修

宮原美樹※2020年8月26日更新

手作りチョコレート専門店 ショコラティエ・ミキ オーナー・シェフ・ショコラティエ。 チョコレートメーカーで開発業務に携わったあと、2006年ショコラティエ・ミキをオープン。 2008年にはフランスで開かれた「サロン・ドゥ・ショコラ」に出展。2009年 著書『CHOCOLATE BOOK』(主婦の友社)刊行。 2013年、2014年 フランスの最高峰のショコラ専門ガイドブック『LE GUIDE』に、日本を代表する10軒のショコラティエとして掲載される。

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