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日本文学

日本文学

古代から現代まで、あらゆる日本の文学作品を学ぶ

日本文学の作品を読み、テーマや文体などの研究を通して、作品の背景となる歴史や文化、社会、人間そのものを研究する。

日本文学の学び方

ゼミナール
それぞれのテーマごとに調査・分析し、議論していく。
作品・作家研究
作品を読み、また、その時代背景を調査し、作品や作家の本質を分析していく。
フィールドワーク
文学の舞台になったエリアへの現地研修、それぞれの作家の文学館、作家の育った地域などへ出かけ、実際に確かめる。

日本文学 学びのフィールド

古典、中世、近世、近代、現代の<時代研究>を縦軸に、作家・作品研究、日本文学史、文学批評、文学・文化比較などの<テーマ研究>を横軸にして学ぶ。

<時代研究>
●上代文学
奈良時代までの詩歌を中心に学ぶ。
●中古文学
主に平安時代の詩歌や文学を学ぶ。
●中世文学
鎌倉時代、室町時代、戦国時代の文学・詩歌を学ぶ。
●近世文学
江戸時代の文学・詩歌を学ぶ。
●近現代文学
明治以降の文学・詩歌を学ぶ。
<テーマ研究>
●作家・作品研究
ひとりの作家の軌跡を追う、作品を鑑賞・吟味する、作中人物の心理を分析する、時代との関わりを検証するなど、特定の作家、作品を深く研究する。
●日本文学史
日本文学の変遷や発展について、歴史や文化の変遷とあわせて研究する。
●文学・文化比較
異なったジャンルの作品を比較することによって、文学の成立や影響などを研究する。
●書誌学
書物の編者や成立・内容・体裁、文献目録などについて研究する。

日本文学とは

どんな学問?
古代から現代までと長い歴史があり、ジャンルも幅広い日本文学。それを多様な研究方法で読み解いていく学問が日本文学研究です。日本で生まれたさまざまな文学に触れることは、普段は意識することのない「日本」、「文化」、「社会」といった大きな枠組みについて考えるようになると同時に、思考の多様性を育むことになります。
・文学を通して言葉そのもの、そしてその時代の文化や人々の内面を読み解く
日本で生まれたさまざまな文学を深く読み解いていき、その文学の言葉の働きや、文学が作られた時代背景や文化、世相、人々の価値観や心の動き、作者の人物像やメッセージを明らかにするのが日本文学の研究です。「明らかにする」といっても読み方に正解があるわけではありませんから、重要なのは自分なりの切り口で解釈し、どうしてそのように解釈したのか、説得力のある説明ができることです。研究の違いは、結局は説得の方法や技術の違いですから、そのために文学理論をはじめ哲学や思想、歴史、心理学などさまざまな知識を複合的に修めることが求められます。
古事記や万葉集の時代を起源に、日本文学は約1300年の歴史を有します。ジャンルも幅広く、小説や物語、随筆、日記、紀行、伝記、和歌、俳句、詩、歌舞伎、人形浄瑠璃など、多岐にわたります。それだけに日本文学のすべてを研究対象にするのは難しく、一般的には飛鳥・奈良時代の上代文学、平安時代の中古文学、鎌倉~安土桃山時代の中世文学、江戸時代の近世文学、明治~終戦までの近代文学、そして戦後以降の現代文学と時代で文学を区分します。
研究の手法もさまざまです。『坊つちゃん』などの作品の解釈を研究する研究者もいれば、「夏目漱石」という作家について研究する研究者もいます。あるいは語彙など言語学的なアプローチで研究する方法もあれば、海外の作品との違いを研究する「比較文学」という研究方法もあります。文学理論を使って「文学とはなにか」「文学とはどのように構築されているか」といった根本的な問いを追究するのも文学研究の一分野です。
・「日本」や「文化」が文学研究を通して見えてくる
ところで、文化や世相を知るのになぜ文学が有効なのでしょうか。それは文化や世相というものが目には見えないものだからです。
私たちは普段日本語を使ってコミュニケーションを図っていますが、厳密に突き詰めると、お互いに日本語のルールを完璧に共有できているわけではありません。「主語+述語」のように代表的なルールは文法や語彙という形で一応は明文化されていますが、現実の会話は「述語だけ」ということも珍しくなく、ほとんど文法どおりにはなっていないのは皆さんも実感されているとおりです。大部分は明文化されていない「暗黙の規範」のままでも、コミュニケーションは成り立っているのです。
言うまでもなく「暗黙の規範」ですから、それが相手と共有できているかどうかはわかりません。コミュニケーションが図れたかどうかは、実際に言葉を発してみて初めて確認できることになるわけです。
そうした「暗黙の規範」も含めた「日本語」そのものは、目に見えないもので、具体的な「言葉」になったとき初めて、その存在を確かめることができるわけです。この関係を言語学の用語で「ラング(言語)とパロール(言葉)」といいます。
その視点でいうと「日本」も「文化」も「社会」もすべてはラング、つまり目には見えない漠然とした概念でしかありません。その姿はいつもパロール、つまり言葉や具体的な形になって表れているのです。
ですから、日本文学という形で表れたパロールの細かなところまでていねいに見ていくと、その作品が書かれた当時の「日本」や「日本語」、「日本文化」、「日本社会」、「日本の思想」といったラングが見えるのです。それがひいては「人間とは」というテーマにつながっていくのです。
他の学問との関わり
思想や考え方を知るためには哲学を学ぶことが必要になりますし、同時代の社会条件を知るために歴史学や社会学が、また人間の内面を分析するためには心理学、そして言葉を分析する言語学も学ぶことになります。さらに、日本の文化は中国をはじめとしたアジア諸国や、欧米諸国の影響を強く受けていますから、海外の歴史や文化を学ぶことも重要です。
・哲学、思想、歴史をはじめ文学に影響を与えた要素を幅広く検証
文学が書かれた時代の人々の思想や考え方を知るためには、哲学という学問が不可欠です。また、人間の内面は社会の条件に大きく影響を受けますから、歴史学や社会学を学ぶのも重要ですし、人間の心の動きを分析するための手法として心理学も必要になります。言葉を分析するのに言語学を学ぶこともあります。
また、研究するのは日本文学とはいえ、文化や思想というのはほかの文化と影響しあって成立しているものですから、中国をはじめとしたアジア諸国や欧米諸国など外国の思想や歴史を勉強することもあります。
例えば、江戸時代までの日本文学は中国文学の強い影響下にありました。まだ日常的に漢文が使われていましたし、文学だと考えられていたのも漢詩と和歌くらいでした。そのため、多くの大学で日本文学を研究するための教養として漢文・漢詩をカリキュラムに盛り込んでいます。
さらに、明治になると西洋の文献翻訳が盛んになり、西洋の思想や文学が日本に流入し、それを受けて日本文学も大きく変化しました。従って、近代以降の文学を読み解くには、西洋現代思想や西洋文学について学ぶことも重要です。
そして思想に影響を与えるのは哲学や文学だけではありません。例えば、明治時代に日本に入ってきたダーウィンの進化論をはじめとした生物学や、大正時代に入ってきたアインシュタインの量子物理学なども、人々の考え方に影響を及ぼしました。そのため、日本文学者の中には生物学や物理学について研究する人もいます。印刷技術や文学が発表されたメディアも文学そのものに影響を与えています。
このように一つの文学に影響を与えている要因は森羅万象、とても幅広いため、文学研究は一人の作家、作品、描かれた人物、社会など多角的に検証していくことになります。切り口次第でどんな読み方をしてもいいわけですから、このほかにもさまざまな学問と組み合わせて、新たな解釈を生み出すこともできます。その意味では、あらゆる学問と関わりがあるといえますし、どんな学問を学んでも文学の研究に生かすことができるともいえます。
何をどのように学ぶ?
まずは日本語を使うための文法、そして文学の基礎知識を身につけ、3年次に専攻を絞るというのが典型的なパターンです。並行して演習科目を行い、根拠をもって自説を他人に説明する技術を修得します。オリジナルの解釈をみつけるための方法も身ににつけ、他人と違う視点でモノを見るスキルを修得することも重要です。
・文学の基礎を広く学ぶと同時に演習科目で説明する技術の訓練
日本文学研究の大前提として、日本語が使えることが必須です。そのため、現代的・古典的日本語文法や、日本文学とかかわりが強い漢文法のカリキュラムが1年次に設定されていることが多いようです。文学の構造を分析したり、体系化したりするための文学理論も学び始めます。日本語、日本文学、中国文学について学ぶのがスタートラインというわけです。
これらの講義と並行して演習科目も行われるのが一般的です。文学研究というと、黙々と文献に向き合うイメージがあるかもしれませんが、文学研究も自分の解釈を人に説明できなければならないので、レポートを書いて発表したり、ディスカッションしたりする演習形式も盛んに行われます。中学・高校の読書感想文や調べ学習とは違い、理論や資料を使って論を展開させなければならないので、かなりの訓練が必要です。そのため、1年次から演習科目を取り入れる大学が多くあります。担当教員によっては、レポートを句読点の使い方まで細かく添削指導するケースもあります。
2年次までに古代から近代まで幅広く学び、自分の興味のある分野を探っていき、3年次から専攻を決めていくのが典型的なステップです。ただし、文学研究は解釈のヒントとなる教養を幅広くもっていたほうがいいので、専攻を決めた後もさまざまな分野や文献に触れていくことになります。
・自分だけの解釈をみつけるための「型」を修得する
文学研究ではオリジナルの解釈をみつけ出すことが求められますが、かといって好き勝手に読んでいいわけではありません。好き勝手に読むことと自由に読むこととは違います。「なぜそう解釈したのか」を説明できるだけの理論や資料といった根拠が必要になります。また、文法や理論、隣接学問などとも照らし合わせて解釈していかなければなりませんから、オリジナルの解釈をひねり出すのは一朝一夕にはいきません。
そこで重要になるのが思考の型を覚えることです。思考にもある程度、決まった型がありますから、テーマとなった作品が「一般的にどう読まれているか」をまずは調べるのです。そのうえで、今度はそれまで読んできた書物や学んできた哲学や思想、心理学などの要素を加味してもう一度読み解いていくと、自分なりの解釈を導き出せるようになるのです。理論的に新しい視点をみつけられるスキルを身につけるのも、文学研究の大きな目的の一つといえるでしょう。
向いている人
感想文の文体に慣れてしまうと、大学に入ったあとの文学研究でつまずく可能性があります。感想文の文体と、説得するための文体はまったく別物だからです。高校生までに、あることがらを人にわかりやすく伝える説明文の練習をしておくといいでしょう。状況に合わせて自分を変えられる順応性・柔軟性が文学研究でも役に立つはずです。
・人に伝わる文体の練習を
やはり「本が好き」というのが志望動機になるケースが多いようです。それに加え、日本文学は、文学の読解を通して日本の文化や社会、日本人の精神面などを解き明かしていく学問ですから、「日本とは」や「社会とは」、「人間とは」といったテーマに興味があると、さらにモチベーションを高く保てるでしょう。
逆に大学に入ってつまずきがちなのが、高校生までに読書感想文の評価が高かった人だといいます。というのも、感想文の文体はその人の体質のようなもので、極端に言えば人に理解してもらうことを前提としていないからです。その人の感想が表現できていればよくて、それが教員の好みに合うような個性なら高評価をされるのが感想文です。
ところが、感想文の文体は、一部の人間に共感されることはあるかもしれませんが、多くの人に理解されることはありません。文学研究は説得の技術なのですから、自分の解釈を理論武装しないといけないので、感想文の文体が役に立たないどころか邪魔になるのです。
個性的な文体が染みついてしまっていると、資料や理論といった説得のための枠組みを加えるのが難しくなり、なおさら理解を得るのが難しくなっていきます。
そこで高校生までにやっておきたいのが、「説明文」の練習です。あることがらをできるだけわかりやすく他人に伝える文章を書く訓練をしておくのです。自分の書きたいことだけを書いていては理解を得られませんから、読者の視点に立って、初めて読む人にでもわかるにはどう説明したらわかるのか、理解できるのか、を考えることになります。これは大学で学ぶ「説得」に必ずつながってきます。
文学研究では、今までの自分だけの考えとは違う多角的な視点で作品を読み解いていかなければなりません。「自分らしさ」にこだわりすぎると、決まった方向からしか物事を見られなくなってしまいます。大学の学びを通して、また社会に出てからでも、人はいくらでも変わっていくものです。高校生の時に決めた「自分らしさ」にこだわらず、状況に合わせて自分を変えていける順応性・柔軟性を身につけるために、学びは一層大きな意味を持つものになります。
卒業後の進路と今後の広がり
就職には弱いイメージがありますが、汎用性の高いスキルと幅広い教養、他人とは違ったものの見方が身につくので、業界を問わずあらゆる社会で自分のポジションを確立していけるでしょう。その中でも出版社や教育、マスコミなど言葉に対する深い理解力を生かせる仕事が学生に人気があるといいます。それに加え、個性とその説得の技術を身につけられるのですから、様々な人を動かす立場につく人にこそ文学教育は必須だと言えます。
・社会で自分のポジションを確立するための能力
文学研究は、「就職に弱い」と言われがちですが、そんなことはありません。文学研究を通して身につくのは、社会の広い場面で役に立つ汎用性の高い能力なのです。
その一つが立ち止まる力です。文学研究では、普段では読み流してしまうような細かい表現の一つひとつまでつぶさに検証していきますし、それまでとは違った視点から文学作品を眺めることになるので、他人とは違ったところに問いを立てることができるようになります。この力は社会に出てから、他人にはできない圧倒的な発想力を生み出す力になります。
また、社会で自分だけのポジションを確立するには、他人と同じ視点でものを見ていてはいけません。いかに自分だけの視点を発見できる能力をもち備えるかが問われます。そのためには「ふつう」の考え方も十分に備わっていなければなりません。それでこそ「ふつうでない」発想ができるのです。文学は様々な人を動かす立場につく人のものというゆえんです。
・あらゆる企業・自治体に対応 人気は出版、マスコミ、教育
このように独自性の高いスキルが身につくので、特定の職業とつながっているということはありません。一般企業でも公務員でもあらゆる就職先に対応しています。そのため就職先の数字を見ると、手堅い金融業や、近年人気の情報産業など、一般的にも人気が高い業種が上位に来るようです。
その一方で、文学部を志す人はもともと読書が好きな人が多いため、出版社などの本づくりに携われる仕事も人気です。あるいはマスコミなど言葉にかかわる仕事を希望する人も多いといいます。これらの業界は、文学研究の中で培った、読み解く力や解釈する視点、問いを立てる力をダイレクトに生かせる仕事といえるでしょう。
また、中学・高校の国語科教員も人気の就職先の一つです。教員にならずとも、塾講師や教科書会社など、広い意味での教育産業も人気の就職先です。
別途資格が必要になりますが、専門性を生かすなら、図書館司書や学芸員という道もあります。一般企業への就職の道は狭まりますが、これらの専門職を目指して大学院に進学するという道もあります。

日本文学の先生に聞く(取材協力:早稲田大学教育学部 石原千秋教授)

日本文学ではこんな研究をしています
夏目漱石が作家デビューした明治40年(1907年)ごろの東京では、教養と時間を持て余した知識層が「悩む」ことに時間を使い始めます。武士の時代を経て女性との関わり方のノウハウは消滅していて、知識層の男たちは女性との接し方がわからず、うろたえました。そんな彼らの苦悩をみごとに描き出した漱石文学を究めていくと、これまであまり語られることのなかった近代日本が見えてきます。
・悩みはじめた知識人層を描いた漱石文学
『彼岸過迄』でも『こころ』でも、夏目漱石の作品の男はいじけたタイプばかりです。高等教育を受けたエリートでプライドが高く、自己承認願望が人一倍強いものの、妻や恋人に認めてもらえず拗ねてばかりいる。そんな面倒くさい男たちです。漱石文学のこうした男たちの姿を深く考察していくと、漱石が作家デビューをした明治40年(1907年)ごろがどんな時代だったのかが見えてきます。
皆さんは人間が生きていれば勝手に悩むものだと考えているかもしれませんが、人間は社会的・物質的に余裕がある状態でないと悩まないものです。それには4つの条件があり、(1)ある特定のエリアに資金が集まること(2)高等教育がなされること(3)高等教育を受けた人たちの作品を読む読者層があること(4)時間がたっぷりあることです。明治40年ごろの東京にはこれらがすべてそろっていました。つまりこの時代に人々は悩みを抱え始めたのです。
現代でも同じですが、人間が最初に悩むのはだいたい「私とは何か」です。しかし、そんなことを考えたところで「これが私だ」という明確な答えがみつかる人はそうそういません。そんな不安定な自分を安定させるためには、他人から認められることが必要で、自己承認願望が強くなっていった時代でもありました。
・進化論が「女の謎」を掘り起こす
そのころちょうど欧米からダーウィンの「進化論」が入ってきて、欧米の生物学が日本でも広まり始めます。ちょっと驚くような話ですが、明治のエリート層はそこで初めて「ほかの動物にオスとメスがあるように、人間にも男と女がある」ということに気がついたのです。当時の文献に「女も男と同じ人類である」という一節が出てくるのですが、それはつまり、その文献の読者は「男と女が同じ人類である」ということを、わざわざ説明されなければ知らなかったということです。
とはいえ、日本の男性がはじめからそれを知らなかったわけではありません。平安時代の京都には先の4つの条件がそろい、文化が花咲いていましたから、男女の交流も盛んでした。女性に認められようと男性がさまざまな手段でアプローチする恋の駆け引きの模様が、平安文学にはたくさん描かれています。ところが、武士の時代になると男と女が同じ種であるということは忘れ去られ、「女性に認められる」という文化も失われていたのです。
数百年にも及んだ武士の時代が終わり、明治40年ごろの東京では再び男女の交流が盛んになります。女性も教育を受けるようになり、知識人男性に近い教養をもった女性も現れ始めます。自己承認願望が肥大化した当時のエリート男性たちは、そうした女性にも認められたいと思いつつ、女心はさっぱりわかりませんし、接し方もわからないままに「女の謎」に翻弄され、のたうちまわったのです。そんな男たちをみごとに描き出しているのが漱石文学なのです。これを突き詰めていき、近代日本がどういう時代だったのかを見つめるのが、私の研究です。
進化論が「女の謎」を掘り起こす
明治時代にはやった女性の一生に見立てたすごろく。当時の女性はこれで生き方を学んだ
・漱石が作り出した 無限のフロンティア
この「謎」という概念は近代資本主義システムの成立にもかかわってきます。
資本主義は常にフロンティア(未開拓の地)を必要としますが、大航海時代を経て、世界中が開拓され尽くし、近代には空間的なフロンティアはなくなっていました。そこで新たなフロンティアを求めて注目されたのが「謎」でした。わからないこと、知られていないことをフロンティアとみなしたのです。
「女の謎」もその一つで、それを理解するための本や社交場が作られるなど、女性というフロンティアを開拓するための商品開発を通して、近代資本主義システムが構築されていきました。
そして、「人間の心の謎」をフロンティアとして見いだしたのが、漱石の『こころ』という作品です。このなかに「私の思想は私の経験が生み出したものだから、私だけのものだ」というような考え方が出てきます。経験と思想は一対になっていて、経験は一人ひとりに固有のものだから、思想も一人ひとりに固有のものだというのです。個人の数だけ思想や「心の謎」があるわけですから、これはもう無限のフロンティアなのです。
文学というのは、作家の内面を作品という形にしたものと考えられますが、その基本形を作ったのが漱石です。私たちが心や個人の経験に重きを置く限り、漱石は近代文学の頂点に君臨し続けることでしょう。
日本文学のここがおもしろい
感性の分析力を身につける、個性を育てる、説得の技術を身につける。独自の切り口で日本文学を読み解いていくことで、内面性が育まれるだけでなく、社会で生きていくために必要な力も身につくのが魅力です。他人とは違った読み方を発見し、また時代を読み解き、人を知り、己を知ることこそが文学の醍醐味です。
・独自の解釈で文学に名を刻み、社会で通用する個性を育てる
文学は、「思考と感性」でいうと感性が強く出る学問です。思考の分析は体系化されていてわかりやすいのですが、感性の分析は難しいものです。しかし、世の中は意外と感性や気分で成り立っている部分が大きいのです。
例えば、2018年に話題となった「ビットコイン」。通貨としての実体はありませんが、「コイン」という名前がついていて、金融庁が監督していたことから、通貨と同じような価値が期待され、価格が高騰した、という向きもあります。人々の思い込みで何十兆円というお金が実際に動いてしまったわけです。これは文学研究では記号論という分野で扱う内容で、まさに感性が世の中を動かした例です。
感性を分析できる力を身につけられれば、こうした社会の動きなども分析できるようになるわけです。その訓練ができるのは、文学の一つの強みでしょう。
・社会で役立つ「自分だけの視点」や「説得の技術」が身につく
文学研究を通して個性を育てられるのが2つめのポイントです。個性は誰もがもっているものと思われがちですが、もともと個性をもっているのは極一握りの天才だけで、ほとんどの人は個性をみつけ、育てていかないと身につきません。
文学はそれにうってつけの教材です。というのも、文学は解釈されなければ単なる文字に過ぎず、解釈されたとき初めて価値が生まれ、新しい解釈をした人の名前はその文学に刻まれるからです。文学に自分の名前を刻めるような新たな切り口、新たな解釈のしかたを発見していくなかで、自分だけの視点、つまり個性も育まれていくというわけです。
自分だけの視点で読むにはまず、「一般的にはどう読まれるか」を知り、「しかし、私はこう読んだ」と論を展開するのが一番かんたんな方法です。このように独自の視点を打ち出すにも、一定の方法論があり、それを身につけるのも文学研究の大きな目的です。その過程で、一般論、つまり社会の考え方も理解することになりますから、社会でも役に立つ能力が身につくはずです。
そして説得の技術が身につくのが3つめのポイントです。
現在ある科学は絶対不変の真理ではなく、「とりあえずの結論」でしかありません。常に学説は更新されていくもので、大学で絶対不変の真理を学ぶことはできません。それでは何を学べばいいかというと、他人を説得する技術です。
文学の解釈で人を説得するのは非常に困難です。どう読んでも正解なわけですから、「私はこう読んだ」ということに説得力をもたせるには、綿密に理論を組み立てなければなりません。文学研究を進めるなかで、他人を説得する技術は確実に磨かれていくでしょう。
社会で役立つ「自分だけの視点」や「説得の技術」が身につく
夏目漱石の研究に加え、国語入試問題などについても研究する石原千秋教授

日本文学の学生に聞く(取材協力:早稲田大学文学部 学生)

日本文学を選んだ理由
日本文学を学ぼうと思ったきっかけを作ってくれたのは予備校の国語の先生でした。とてもユニークな指導で、文章を読み解いていく楽しさを覚えたんですよね。大学では、それまであまり親しんでこなかった古典作品を文学理論に基づいて読み解くなど、新鮮な学びにチャレンジしました(早稲田大学 4年※ 片山裕貴さん)。※学年は取材当時
読書好きが高じて自分が好きな作家がどんな本を読んでいるのか興味を引かれ、それが日本文学を学ぶきっかけになったと思います(早稲田大学 3年※ 久保野谷春香さん)。
・国語の読解問題から日本文学の道に
片山さん
もともと読書好きというのはありましたが、日本文学に進んだのは、高校の時に通っていた予備校の国語の先生の影響も大きかったように思います。とにかくユニークな授業で、評論問題や小説問題の解き方を楽しく学べたので、成績も伸びました。そこで国語の配点が高く、有利に戦えるという入試戦略的な面もふまえて、日本文学を学ぶことにしました。
高校時代は「ハヤカワ文庫SF」を好んで読んでいましたが、大学ではいわゆる古典作品を読むことが多く、新鮮な気分で文学に取り組めました。また、文学理論を使って読み解いたり、系統立てて調べたりといったことも、今までしたことがなかったので楽しくもありました。
国語の読解問題から日本文学の道に
片山裕貴さん(左)と久保野谷春香さん(右)
・自分の好きな作家が、どんな本を読んだのか興味をもって
久保野谷さん
本を読むのが好きで、高校生の時は図書館に通いつめて、ライトノベルをはじめ、有川浩や東野圭吾などの作品を読み漁っていました。一時期は自分でも書いてみようと試みたこともありましたが、あまりうまくいかず、そのうちプロの作家がどうやって本を書いているのかに興味が移っていきました。おそらく作家は誰よりも本を読んできているはずで、私もその作家たちが読んできた本を読みこなせるようになりたいと考えるようになりました。それが日本文学の道に進もうと思ったきっかけです。
古典作品はあまり読んでこなかったので、大学に入ってから苦戦しました。好きな本なら1日2冊くらい読めるのに、古典作品は1週間かけても1冊が終わらないのが当たり前。「私、意外と読めないんだ」とショックを受けましたね。
それでも、「最近の大学生は本を全然読まない」という大人たちに、私もその一人に数えられるのは悔しいと思い、やる気に火がつきました。せっかく大学に入ったんだから、わからなくてもいいから読んでみようと思って、勉強してきました。
自分の好きな作家が、どんな本を読んだのか興味をもって
一人のレポートについて議論しながら、読解を深めていく
・こんなふうに学んでいます
夏目漱石の作品の中から一作をじっくり読み込み、文学理論や現代思想などを足がかりに、自分なりの切り口で読んでレポートを書き、ゼミのメンバーと議論してさらに深く読み込むということに取り組んでいます。
・「所有」というキーワードを軸に『行人』を読む
片山さん
プレゼミで夏目漱石の作品をテーマとして与えられて、それを1年かけて読み込んでいます。毎週1万2000字程度のレポートを書き、それについてプレゼミのメンバーと議論していきます。私の代のテーマは『行人』という長編小説です。
これがどこから読んでもすっきり読めない難しい作品なのですが、私は「所有」という概念に注目してみました。当時の知識人にとって「所有する」ということが何を意味しているのかを探り、そして、その視点で見たときに『行人』はどんな読み方ができるのかを考えました。
文学研究には作者の生い立ちや時代背景を調べて、作者が何を言いたいかを読み解くというイメージがありましたが、私のプレゼミでは作者のメッセージを掘り下げるのではなく、純粋にテキストをどう読み解けるかを考えます。そのギャップは驚きでしたね。
読み解くためのヒントとして文学理論や現代思想を勉強するのですが、これがまた難しく、苦戦の連続でした。しかし、おかげで3年生の間に『行人』をかなり読み込めたので、そのストックを生かして卒論のテーマも『行人』にしました。ストックがあるとはいえ、卒論の規定はプレゼミのレポートの約3倍の文量がありますから、先生のところに何度も相談に行き、苦労して仕上げました。
・「先生の妻」の視点で読む『こゝろ』
久保野谷さん
私は『こゝろ』がテーマでした。
この作品は、前半では「私」という青年の視点で、なにか暗い過去を抱えた男「先生」と「私」の交流が描かれ、後半は「先生」に視点が切り替わり、その謎めいていた過去が明かされるというストーリーになっています。後半には「K」という男と「先生の妻」という人物が登場し、三角関係になるのですが、「先生の妻」の行動については記述が少なく、「二人の男性が一人の女性を取り合う」という構図で解釈されるのが一般的です。
そこで私は「先生の妻」を主人公にして読み直してみることにしました。「先生の妻」をファム・ファタル(男を破滅させる魔性の女)だと仮定し、「一人の女性が二人の男性を争わせた」と考えてみたのです。男性目線の三角関係だと考えるのとは別の角度から見てみることで、一歩踏み込んだ読み方ができたと思います。
ちなみに最初に書いたレポートでは、「先生」がおじさんに裏切られるシーンに注目して、当時の家父長制や通過儀礼という視点から、「本当におじさんだけが悪者だったのか」を考察しました。
一つの作品とじっくり向き合い、違った視点で何度も読み直してみると、いろいろな読み方ができるというのはおもしろい体験でした。
学んでみた感想
多角的に作品を俯瞰するようになったおかげで、読書に限らず映画鑑賞をしていても、細かいシーンに着目して深く考察できるようになりました。「おもしろかった」「衝撃的だった」以外のさまざまな言葉で本や映画の感想を語れるようになりました(片山さん)。
一冊の本が次の本に繋がっていき、次の本を読むことで最初の一冊をまた別の視点で読めるようになるという読書体験はしたことがありませんでした。自分の知識のなさを痛感することもありましたが、それを補うために積極的に勉強し、自主性が身につきました(久保野谷さん)。
・本や映画の感想を語れる言葉が増えた
片山さん
物事を系統立てたり、構造化したりする考え方は身についたと思います。
読書に限らず、映画を見ているときも細かいところに注目して「これはどういうことなんだろう」と考えるという深読みが自然にできるようになりました。最近でも、趣味で『未知との遭遇』という映画を見たのですが、ドアを開け閉めするシーンがよく出てくるのが気になり、何を意味しているのかを自分なりに考察。するとそれまで考えつきもしなかった作品の魅力が見えてきました。
今までは「おもしろかった」「衝撃的だった」という程度にしか本や映画の感想を語れなかったのですが、もっと深いところまで考察して、いろいろな言葉で語れるようになりました。日常生活の中でそういう時間をもてるということは、豊かなことだと思います。
卒業後は出版社に就職することになっています。『MASTERキートン』や『憂国のラスプーチン』のように考古学や政治がからむ硬派なマンガが好きなので、青年マンガ誌の編集者を目指したいです。青年誌だと文芸的なフォーマットも扱いやすいですし、文学研究で身につけた「問いをみつける力」も役立てられると思います。
・一冊の本が次の本に繋がっていく
久保野谷さん
自分のレポートを書くにしろ、仲間のレポートに対して自分なりの意見を言うにしろ、まず基礎知識がないとどうにもなりません。最初に自分の教養のなさを自覚できたのは、日本文学を学んで得られたものだと思います。
力不足を補うために、先生から与えられた文献を読むだけではなく、図書館に行って関連書籍を探したり、仲間のテーマの文献も読んでみたりと、積極的に活動しました。こうした演習を通して自主性は身についたと思います。
また、文学研究をしたことで、一冊の本を読んだときにそれが次の本に繋がっていくという、新しい読書の楽しみ方もみつけられました。私はずっと『こゝろ』についてレポートを書いてきましたが、『こゝろ』を読み解くためにフロイトを読んだり、ラカンを読んだりと、いろいろな方向に本が繋がっていき読書の幅が広がりました。そして、次に『こゝろ』を読んだときに、またもう一歩深い読み方ができるようにもなりました。
今まで1冊の本を1年かけて読み込んだことはありません。何度読んでも飽きずに、新しい読み方ができるというのは、文学研究を通した発見です。
高校生のころは出版社に勤めたいと思っていたのですが、3年間大学で学んでみて、私は作る側より読む側のほうが合っていると思い始めました。今は学習塾など教育系に携わりたいと考えています。
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