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文化人類学とはどんな学問?研究内容や学び方などを解説

文化人類学

世界の文化から、特性や相互関係を調査する

さまざまな民族や文化圏の衣・食・住・家族などを対象に未開と文明を比較し、フィールドワークなどを通じて、人類の文化の共通性、異質性、多様性を知る学問。

文化人類学の学び方

講義・演習

講義や演習を通して、文化人類学の基本概念を理解し、外国語に習熟することは学びの第一歩。

フィールドワーク

一つの社会・共同体に住み込み、言語を理解し日常生活の中からデータを収集する。

文化人類学 学びのフィールド

<生態><社会><文化><民俗>を研究領域にしている。

<生態研究>

●生態研究
農耕や牧畜、採集、狩猟など、環境に適応しながら生きる人類の生態を研究する。

<民俗研究>

●民俗研究
民話や口頭伝承、ハレとケの概念などから日本文化を研究する。

<文化研究>

●文化研究
象徴、儀礼、神話、言語、芸術など、人間がどのような意味の世界をつくり上げているかを研究する。

<社会研究>

●社会研究
親族、婚姻、経済、法など、人間の具体的な行動を通して社会がどのように形成されているかを研究する。

文化人類学の先生に聞く(取材協力:立命館大学大学院 先端総合学術研究科 小川さやか准教授)

文化人類学ではこんな研究をしています

タンザニアの都市で、古着の行商人と一緒に生活しながら、彼らの商慣行について研究していました。そこから、「ウジャンジャ(賢さ/ずる賢さ)」を生活信条とする零細商人たちが、不安定な都市環境で生きられるしくみが見えてきました。(立命館大学大学院 先端総合学術研究科 小川さやか准教授)

・タンザニアの行商人と暮らしながら、行商のしくみや考え方を参与観察

アフリカ大陸東部に位置するタンザニア、その第2の都市ムワンザで、大学院生時代から古着の行商人と共に生活をしながら、彼らの商慣行について研究してきました。
当初はタンザニアの徒弟制度について研究するつもりで現地入りし、協力してくれる家具職人や大工を探し出しました。ところが、「そこのセメント袋を取って」と言われても、女性の私はよろよろするばかり。そんな調子で付きっ切りの調査はできないので敢えなく断念。ほかの研究を模索することになりました。
ひょんなことから古着の行商人と知り合いになり、行商なら私にもできるだろうと、路上商売の研究にシフトすることになりました。
現在、アフリカ諸国では著しい経済発展がみられますが、インフォーマル(非公式)な仕事で生計を立てている人が少なくありません。行商は大きな資本がなくても始められるので、都市へと出稼ぎにきた貧しい若者が参入しやすい職業なのです。
タンザニアの古着は、先進諸国から輸入されたものです。卸売業者は、輸入商から200枚ほどの古着が入った梱(こり)を数個仕入れ、それを開封して数十枚単位で行商人に販売します。彼らは仕入れの資本を持たない行商人に古着を掛売りします。行商人は古着を売りに行き、その売り上げの中から卸売業者に仕入れの代金を支払います。行商人たちはお金がなくても、商売をすることができるのです。
私も行商人として彼らと一緒に路上で古着を売り歩いたり、卸売業者として行商人たちと取引したりしながら、彼らの商慣行や交渉術を学び、研究を深めていきました。

・生き抜くための知恵「ウジャンジャ」という価値観

日々の商取引の中で彼らが「ウジャンジャ」という言葉をよく使うことに気づきました。辞書には「賢さ」と「ずる賢さ」の両方の意味があるとされますが、彼らはこの言葉を「ずる賢さ」というニュアンスですごく誇らしげに使っています。騙したりウソをついたりする「ずる賢さ」も、彼らが不安定な都市で生き抜くための知恵の一つであり、頭を使って賢く生きていくことが高く評価されるようなのです。
だからといって、すべてのウソや騙しが許されるわけではありません。行商人たちは、巧みな話術で客を「ウソかもしれないけれど、何だか憎めない。ここは騙されてあげるか」という気持ちにさせながら、「利益」を頂戴するのがウジャンジャの真骨頂なのだと語ります。ウジャンジャはこのように「相手の心を動かす知恵」であり、詐欺や盗みとは違います。また彼らは、その時々の客の経済的・精神的な余裕を見極めながら、ある者からは多くの利益を得て、その分で別の者には原価を割っても売ることも、カネやモノを社会の中でうまく循環させるための「ウジャンジャ」の発揮だと語ります。
彼らの生き方は、いわゆる「その日暮らし」の不安定なもので、日本のように社会保障制度もありませんが、草の根の人々の知恵によって自前のセーフティネットが築かれているのです。現在は、フィールドを香港に移し、香港で商売をするタンザニア人のコミュニティーに入って、研究をしています。

文化人類学のここがおもしろい

遠い世界で自分たちとまったく違う思想で動いている人たちと一緒に生活するのは、新鮮であり、新発見であり、自分の生き方・考え方を見直す契機になります。その一方で、同じようなことを求めたり、悩んだりしていることも少なくありません。遠く離れた世界と共通性を感じられるのもおもしろさの一つです。(立命館大学大学院 先端総合学術研究科 小川さやか准教授)

・遠く離れた世界の異質性と共通性を見いだし、「人類とは何か」に迫る

私は、タンザニアやその他のアフリカ諸国の都市でフィールドワークをして現地の人と一緒に暮らす中で「この人たちは自分とはまったく違う価値観や思想で生きている」と感じることが多々ありました。その体験は、新鮮な新しい発見をもたらし、自身の生き方や考え方を見つめ直す契機になりました。
その一方で、「人間ってあまり変わらないんだな」と思うことも少なくありませんでした。SNSの既読スルーができなくてストレスを感じるといった話は、同時代のアフリカでもあるんです。
それに関しては、文化人類学者の木村大治先生の研究に興味深いエピソードがあります。彼の研究対象はアフリカの熱帯雨林に住むボンガンドという民族集団です。彼らの村の広場では、近くに誰もいないのに大声でしゃべっている人がいて、その話に耳を傾けると、「暑くてたまらん」「ヤギが逃げた」といったどうでもいい話だったりするのです。日本だったら危険な感じがして近寄らないようにしますよね。ところが、その村の人たちは何ごともないかのようにその人物の前を通り過ぎたり、時々ちょっとした返答をするのです。
こうして聞くと不思議な社会にみえますが、日々のつぶやきを不特定多数に向かって発信し、それらの発言の中から興味をもったものだけに反応すると考えてみたらどうでしょう。日本人がツイッターやブログで日常的にしているのと同じですよね。
これを木村先生は「投擲的発話」と名付けました。コミュニケーションの形態として、キャッチボールを前提とせず、「投げっぱなし」にするほうが居心地のいい場合もあるわけです。
いっけん異なっているようにみえる私たちとアフリカの人々の暮らしの中には共通のロジックがあり、そこから人間が社会を作り生きていくうえで共通して抱える困難や欲望とそれに応答する普遍的な知恵や工夫が見えてくる。人類学は、人間の多様性や文化的な異質性を問いながら「人類とは何か」という本質に迫る学問でもあるのです。

遠く離れた世界の異質性と共通性を見いだし、「人類とは何か」に迫る
タンザニアで行商をしながら、その実態を研究した小川さやか准教授

・国内でも、身の周りでも。身近なところから調査は始められる

文化人類学のフィールドワークというと、アフリカや東南アジアといった海外に出かけるイメージをもたれがちですが、もっと身近なところからでも調査はできます。例えば、部活の先輩-後輩関係やお中元のやり取りだって海外の人々からしたら不思議な文化であり、それを調べても立派な文化人類学の研究になります。ほかにもロボットの人類学や宇宙人類学など多様なテーマがあります。どんなテーマを選択するにせよ、具体的な人々の生活や活動に参与しながら、あなた自身の「ふつう」を問い直すことが一番の醍醐味だと思います。

国内でも、身の周りでも。身近なところから調査は始められる
現地のコミュニティーに入り込んで調査するフィールドワークが文化人類学の魅力

文化人類学の学生に聞く(取材協力:立命館大学大学院 先端総合学術研究科 博士課程2年 荒木健哉さん)

文化人類学を選んだ理由

国や人種、民族、宗教によって人の価値観や生き方はまったく違ってきます。その違いについて究明していくのが文化人類学という学問です。人を知るにはその人々のコミュニティーに飛び込んで実際のところを知っていくのが一番。そんな実践的な学問に魅力を感じ、この学問を選択しました。(立命館大学大学院 先端総合学術研究科 博士課程2年 荒木健哉さん)

・納得のいく研究を求めて博士課程まで進学

国や人種、民族、宗教によって人の価値観や生き方はまったく違ってきます。その違いについて究明していくのが文化人類学という学問です。人を知るにはその人々のコミュニティーに飛び込んで実際のところを知っていくのが一番身に入ります。そこに魅力を感じ、この学問を選択しました。
もちろん、研究フィールドは国際的なものばかりではありません。社会のいたるところに人類学のテーマは転がっています。実際、私は学部時代に趣味を社会調査するゼミに入り、ラジオ番組にはがき投稿をする人々がどのようにしてネタを考え、番組に参加していくのかを調査しました。そこで調査をして論文にまとめる楽しさを知り、修士課程へ進みました。
修士課程では小劇団について調査しました。最近の小劇団は正規団員が3~4名で、公演ごとに外から人を集めてくるのが一般的になっています。つまり、公演のたびに人間関係が離合集散するようになっているわけです。
そこに興味をもって研究を始めました。フィールド調査に行き詰まったりすると、学内の講義に出て先生方と相談して、だんだんと調査方法を学んでいくうちに、あっという間に修士課程が終わりました。
小劇場演劇の世界で、私は「将来的に生活の安定の可能性がかなり薄い世界に身を置いて、いつか自分のターンが来ると信じて夢を追い続ける人たちの生き方」に関心があると気がついたので、日本国外よりも圧倒的に不安定な生活をしている人たちが多数派のアフリカに目が行き、博士課程に進みました。それからさまざまな人とのめぐり合わせで、ナイジェリア研究にたどり着きました。

こんなふうに文化人類学を学んでいます

ナイジェリアの人たちにとってギャンブルは仕事の一つです。賭け事は運に身をまかせるイメージがありますが、ただ運にまかせるだけでは仕事としての達成感がありません。そこでナイジェリアの人々は、自分たちで何らかのアクションを起こそうと、さまざまな予想のやり方を考えて、それを宝くじに当てはめようと模索し続けます。そんなところから、人類がどんなことに「希望」や「幸福」を見いだすのか。そのヒントが見えてくる、そんな思いで研究を進めています。(立命館大学大学院 先端総合学術研究科 博士課程2年)

・幸福に向かって主体的に行動するナイジェリア人の宝くじ論

今はアフリカ西部に位置するナイジェリアでフィールドワークをして、ギャンブルの研究をしています。最初は漠然とスポーツ文化、特にサッカー文化の調査もしたいと思っていましたが、選手たちに会う前に、現地で仲良くなった人がスポーツくじに朝昼晩ほぼ毎日熱中しているのを目の当たりにして興味が湧き、テーマを変更しました。とにかく現地に行ってみないとわからないので、文化人類学は現地で自分の関心やテーマを発見することが多い学問なんです。
ナイジェリアの宝くじは、当せん番号の組み合わせが日本の宝くじよりも多いので当てにくいものですが、それでも一部のナイジェリアの人たちは、宝くじでの当せん金を生活の糧の一つだと考えているんです。
アフリカの諸都市の生活は不安定で、人々は複数の職業をかけもちするのが一般的です。ある人は理髪師をしながら露店で果物を売ったり養鶏をしたりします。どれか一つが失敗してもほかに仕事があれば、明日からも生活できます。
これらの零細な商売はいつも安定した収入が得られるとは限らないという意味で、「ギャンブル」です。しかし見方を変えると、生活が不確実だからこそ生活の中にチャンスも転がっているはずだと彼らは考えます。だから、彼らは公営ギャンブルに賭けることは、現金獲得手段として可能性がある限り、普段の仕事と同じくらい信頼できる収入源の一つと考えます。
とはいえ、ただ幸運が訪れるのを待っているだけでは、当たったときの達成感がありません。幸運に自分からアクションをしかけて初めて「これは自分の幸運だ」と一仕事終えた満足感を得られるのだと、彼らは思っているのです。
そこで、自作の統計表を作ったり、ジンクスに頼ったり、予想のうまい人に聞いたりして、「これをすればきっと当たるはずだ」という「宝くじを当てる法則」を模索することに希望をみいだすのが、彼らの宝くじのやり方なのです。
こうした宝くじに対するナイジェリアの人たちの詳細な実践を考察していった先に、人は「希望」や「幸福」をどういう時に実感できるのか、といった人類学的なテーマが見えてきます。

幸福に向かって主体的に行動するナイジェリア人の宝くじ論
フィールドワークの楽しみに目覚めた荒木健哉さん

実際に文化人類学を学んでみて

一番の魅力はやはりフィールドワーク。普段かかわることのないような人と仲良くなることで、さまざまな知識が身につき、新鮮な驚きや発見に出合えます。博士課程の修了後には、文化人類学の魅力を伝える先生になりたいです。(立命館大学大学院 先端総合学術研究科 博士課程2年 荒木健哉さん)

・露骨な感情表現に驚きと新鮮さを感じた

私は外国で最初に調査したときに思ったのは、日本に比べて特に対面コミュニケーション全体の強度が桁違いに強いことでした。
例えば、ナイジェリアにフィールドワークに行くときは、現地の協力者に必ずお土産を持っていきます。手ぶらで行こうものなら、彼らはしつこくねだった末に拗たり残念がるので、こちらはすごく悪いことをしたような気持ちになります。逆にお土産を渡すと、彼らはニコニコしながらハグを求めてきて、プレゼントしたものを誰かに自慢して上機嫌になるのでこちらもうれしくなります。
見方によっては現金な感じがしますが、表現がストレートな分、コミュニケーションの醍醐味も直接的に感じられて新鮮でした。
日本では、手土産一つない客人を内心では失礼だと思っていても、そう滅多に態度には出しませんよね。そうした日本との違いを感じるだけはなくて、調査地に住むヨルバ人が自分よりも目上の人に敬意を払うのに、頭を下げてお辞儀するのを知り、思わぬところで日本人に共通するところをみつけられたりもします。フィールドワーク中は、驚きと同時に新鮮さや発見があり、そこが文化人類学で一番の醍醐味なのだと思います。
博士課程修了後は、大学教員になって、学生に文化人類学を教えたいですね。

露骨な感情表現に驚きと新鮮さを感じた
現地の人と親しくなるのが研究の第一歩

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