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通訳にはどんな先輩がいるの?

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通訳者は、数をこなすことで多くの知識が得られるという、恵まれた職業という一面もあります。通訳で得た豊富な知識をもとに大きな実績を残した人も少なくありません。ここでは代表的な著名人を紹介します。

あの有名人も通訳だった

日本でつとに有名な通訳者といえば慶應義塾大学創設者の福沢諭吉でしょう。福沢諭吉は、幕末から明治にかけて活躍しました。当時はオランダとの交易が盛んなことから蘭学を学ぶというのが主流であり、福沢諭吉も1854年、長崎で学び始め、翌年の1855年には大阪に移り住み緒方洪庵の適塾で、そして1858年には、藩の命令で東京の中津藩中屋敷に蘭学塾を開講するのに至ったのです。
諭吉は外国人の暮らしぶりにも興味をもち、外国人が多く住む横浜へよく出かけて行ったといいます。ところがある日、そこで出会った外国人にオランダ語で話しかけたところ、まったくといっていいほど通じませんでした。外国人の大多数は英語を話していたのです。諭吉は英語が主流になるということを察知し、英語を独学で学び始めたといいます。
そうした努力が実り、幕府海軍の所有船咸臨丸の艦長家来として渡米するというチャンスに恵まれました。1862年には幕府遣欧使節団のメンバーに選ばれ、1年にわたりフランス、イギリス、オランダ、ポルトガル、ドイツ、ロシアを歴訪しています。その時の様子は1866年に刊行された『西洋事情 初編』につづられています。
1864年に江戸幕府の翻訳御用としてプロの通訳になり、1867年に軍艦の受け取りに再びアメリカを訪問しました。こうした経験をとおして諭吉は、日本の発展に学問は必要不可欠と考えるようになり、学問を志す者たちの学習の場として家塾を改革し慶應義塾を開校したのでした。

通訳から著述家、そして教育者となった

1872年に刊行された『学問のすゝめ』の冒頭には、あの有名な「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといへり」という人間平等宣言が書かれています。
幕末から明治という歴史の大転換期に通訳として海外の国々の社会、文化に触れた諭吉。見聞を広めたその後の人生が豊かなものであったことは周知のとおりです。

2024年8月更新

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