• スタディサプリ 進路(大学・専門学校)
  • 仕事・資格を調べる
  • 医療・看護・歯科・薬
  • 保健師
  • 歴史を知ろう
保健師の歴史を知ろう

保健師の歴史を知ろう

全国のオススメの学校

2001年の法律改正により保健婦から保健師に名称が統一されました(2002年施行)。時代の流れとともに変わっていく健康問題に関して、保健師はどのように対処してきたのでしょうか。保健師の歴史についてひも解いてみましょう。

保健師の歴史は予防の歴史と重なる

保健師の歴史は健康増進の歴史であり、疾病予防の歴史でもあります。
日本では明治時代から保健活動はおこなわれていましたが、戦争が始まったことで、十分に栄養を摂ることができずに死んでいく子どもが増えていました。また、当時、労咳(ろうがい)と呼ばれていた結核はまだ感染を防ぐ方法が確立されていませんでした。そこで国は母子保健や感染症対策に力を入れるようになっていきます。
第二次世界大戦が終結し、出兵した人たちが海外から戻ってくると、コレラなどの病原菌がもち込まれるようになります。そこでGHQ(連合軍総司令部)によって、看護体制が指導されるようになりました。人命尊重のために公衆衛生や医療面に対して改善が命じられたのです。GHQが保健婦・助産婦・看護婦の業務や教育に強く口を出したことを受けて、1947年に『保健婦助産婦看護婦令』が公布され、翌年に名称は『保健婦助産婦看護婦法』となりました。戦後はノミやシラミがわいている状態が一般的だったということもあり、公衆衛生に特化しようという時代です。
1965年に『母子保健法』が制定され、母子保健が本格的にスタートします。母子健康手帳が交付され、3歳時健診などが実施されるようになりました。1970年には『障がい者基本法』が制定し、障がい者の自立や社会参加を支援。1982年になると『老人保健法』が制定され、老後の健康維持や適切に医療をおこなうための予防や訓練などの保健事業を推進することになります。少しずつ法の整備が進んでいくなかで、保健婦は公衆衛生の予防的な観点から助産婦や看護婦とは違うフィールドで必要とされていました。
保健婦が保健師と名を変えたのは2001年の法律改正によります(施行は2002年3月)。
その後、保健師は地域にかかわっていくことが定着していきました。2008年には『特定保健指導』が始まります。特定保健指導とは、40歳から74歳までのすべての被保険者・被扶養者に対して義務づけられるもので、生活習慣病のリスクが高く生活習慣病の予防効果が多く期待できる人に対して、保健師が生活習慣を見直すサポートをするものです。特定保健指導により、企業では保健指導をする専門職を在籍させなければならなくなったため、保健師の需要が増え、健康増進の担い手としてさまざまな役割を果たすようになっていきました。

オタワ憲章に見るヘルスプロモーション

世界的な健康増進に向けて中心となった考えは、1986年にまとめられた『オタワ憲章』にあります。憲章のなかにある『ヘルスプロモーション』という概念は『自らの健康を決定づける要因について、自らよりよくコントロールできるようにしていくこと』と定義しています。つまり、健康は生きるための目的ではなく手段であり、自分の健康を自分で改善できるようにすることが示されています。
日本でも、ヘルスプロモーションを進めていくうえで、住民が主体的に参加して地域づくりをしていこうという概念が強調されました。そのため、保健師が地域の人を巻き込みながら健康推進を進めていく動きが強まったといえます。

取材協力

中屋朋子 石川綾海

小児保健分野の看護師を目指し、大学へ進学。大学四年の時、地域看護学実習で、保健師の仕事ぶりを目にして引き込まれ、保健師の道を志すように。卒業後、行政保健師を経て、健康保険組合の保健師となる。現在は、加入者の健康維持増進、疾病予防のために何ができるのか、悩みながら日々奮闘中! 東邦大学看護学部卒業後、行政保健師として高齢者の支援に従事。その中で、働く世代の健康を支援したいという思いを抱き、株式会社おかんへ参画。営業を経て、新規事業開発の部署へ配属。企業向けに食の意識・行動変容を促すセミナーを開催し、「働く」と「健康」の両立支援を行う。

関連する記事

保健師を目指せる学校を探すならスタディサプリ進路
RECRUIT